人生はある意味、失望の連続。
年を重ねるうちに、若い頃に描いていた自分と現実の自分のあまりの差に驚き、
「こんなはずではなかった・・・」
と後悔してしまう。
では、「それで人生が失敗なのか?」というともちろんそんなことはない。
むしろ、「こんなはずではなかった」という人生の方が、それを経験すべき大切な意味が隠されているように思う。
人生は思ったとおりにならないけれど
自分が思っていたのとは違う人生を歩む。それによって、想像していなかった自分と出会う。人生で本当に出会うべき人と出会う。
たとえ人生どん底に落ちたとしても、そこでしか経験できないこと、そこからしか見えないことがある。そしてそれらに気づくことによってしか得られない何かがある。
だからどんなときも、絶望はしていいけれども、人生を諦める必要はない。
夢敗れたとき。目標が失敗に終わったとき。何もかも思い通りにいかず、人生がイヤになったとき。借金を背負って「もう俺はダメだ・・・」と悲観にくれたとき。
そんなときでも、そこでしか得られない大切な何かがある。そしてそこで大切な何かをつかむことで、人生をやり直すことができる。
その先の人生は、良い意味で、自分が思っていたのとは全然違うものになっていく。それを経験すれば、人生の不思議さを感じずにはいられない。
人生に期待する必要はない。そのかわり
そもそも人生は山あり谷あり。「何もかも自分の思い通りにいく」と考える方が間違っているのかもしれない。
生きていくことは失敗することであり、悲観することであり、絶望することである。そのなかで時々、思いもよらぬ僥倖に恵まれ、生きる喜びを実感できる。
そういうものなのかもしれない。
自分で人生の全てを見通すことはできないのだから、何が起ころうと、どんな失敗があろうと、どんな挫折があろうとも、それで自分の人生を見切ってしまうのは早計なのだろう。
人生に期待しなくても、人生に見切りさえつけなければ、予想外のタイミングで希望がやってくる。
だから人生どこでどうなるかは分からない。今がどん底でも、その先は素晴らしい未来が待っているかもしれない。
こんな「希望」を持つことも、長い人生大切である。
最後に
何をやっても上手くいかない。努力しても結果がでない。悪いことが連続して続く。
そんなときは精神的に弱くなって、「人生はもうダメだ・・・」と絶望してしまう。最悪、「人生はどうにもならない」と自分で見切りをつけてしまう。
しかし一寸先は光、人生はどこでどうなるか分からない。
自分を信じる必要はないが、人生はどんなときも急変する可能性がある。だから自分の思い込みだけで自分に見切りをつけるのはもったい話だと思う。
諦めなければ全てが上手くいくわけではないかもしれない。しかし、諦めなければ、それが自分の思っていたカタチとは違うけれども、自分が思っていた以上の何かがやってくる。
だから人生に期待しなくてもいいが、人生どんなときでも、決して諦める必要はないのだ。