「自分に欠けているもの」があるからこそ、本当の自分と出会うことができる

見つめる男

人間というのはもちろん、多かれ少なかれ、生まれつき欠落部分を抱えているもので、それを埋めるためにそれぞれにいろんな努力をするものですね。

村上春樹(『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』より)

自分のなかの、欠けている何か。求めても満たされない、欠落した何か。人それぞれ欠けているものは違うが、人は自分のなかの欠落した何かを埋めるための行動を起こす。

例えば、ある人は成功を求めガムシャラに働き、ある人は愛を求めてさまざまな相手と浮名を流す。あるいは、孤独や認められない寂しさを埋めるために、知識や表現に没頭する人もいる。

その形は人それぞれだが、行動の背後に隠されているのは「自分に欠落している何かを埋め合わせたい」という、無意識の欲求である。

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才能はこうして花開く

自分に欠けている部分があること、自分が不完全であることを知るのは、とても残酷で苦しい。胸の奥にぽっかりと空いた穴から、冷たい風が通り抜けるような寂しさを感じる。

ところが、その苦しみや満たされないものがあるからこそ、人はそれを埋めようと行動する。その苦しみが強く、悲しみの谷が深ければ深いほど、空虚さを埋めようとする行動への欲求は高くなるだろう。

すなわち、自分の認めたくない影なる部分、痛ましいこころの傷が、自分の能力を最大限に花開かせるトリガーになるのだ。

足りないものを埋め合わす、その過程で見つかるもの

自分にとって足りないもの、欠落しているものがあることは、決してマイナスだけではない。

自分には欠けているものがある。だからそれを埋め合わすための努力をすることができる。それによって自分の新しい可能性を見つけられることは、決して偶然ではない。

つまり私たちは、足りないものを埋め合わそうとするその過程を通して、本当の自分に出会っていく。

もし私たちが最初から満たされているのなら。完璧であるのなら。生きる意味だけでなく、人生そのものの価値に、疑念を抱くことになるだろう。

欠落とは、人生が動き始める「きっかけ」である

足りないものがある自分。欠点がある自分。そんな自分を受け入れることができないなら、それでいい。「私は、満たされない私を認めることができません」と感じてもいい。

その上で大切なことがある。何かが欠けているのなら、それを探そうとすることだ。そのとき重要なのは、足りないものを「見つけた」という結果ではない。「探す」という過程それ自体にある。

「生まれつき欠落部分」とは、自分が自分として生きていくことに気づくための、きっかけにすぎない。欠落を補おうと動く。それによって人生は動き出す。結果はおまけであり、本質ではないのだ。

最後に

ないならないで構わない。それなら替わりの何かを見つければいいだけの話である。

自分に欠けているものに気づく。それを埋め合わそうとする。その試みこそが、生きる意味であり、その人生が存在するための、真の目的なのだから。

だから、欠けているものがあってもいい。今この現実が満たされなくてもいい。「それを埋めるためにそれぞれにいろんな努力をする」ことを始めればいい。

それによって私たちは気づく。「だから、私には欠けているものがあった」ということを。

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人間
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