誰かが自分の意志を貫く必要があります。
誰かの後についていくのは簡単なことです。他の人間と違ったことを言ったり口にしたりすると、奇妙な感じを覚えるかもしれません。
けれど、その居心地の悪さがなければ、自由もなくなるのです。
ティモシー・スナイダー
人生で妥協できること。そして何があっても絶対に妥協できないもの。
その区別を明確につけておくことは、長い人生で後悔しないために絶対に大切なことである。
人生必ずしも自分の思った通りに前へ進んでいくことはできない。ときには、自分の意志を曲げて、妥協することも必要なことである。
はじめに
現実問題、何もかも自分の思い通りにいくことはありえない。だからこそ、妥協しても構わないことは、妥協しても全然構わない。
それが現実と折り合いをつけていく、ということだ。しかし、人生において絶対的な影響を及ばす事柄については、何一つ妥協してはいけない。
例えばあなたが本当に大切にしていること。「これだけは誰が何と言おうと絶対に曲げられない!譲れない!」ということ。それはまさにあなたの人生の核となる部分である。そこは何が何であれ、絶対に譲ってはいけない。
譲れないものを絶対に譲らないこと
「ここから先は何があっても譲れない絶対的な一線です」
妥協は構わない。だが妥協してはいけないものまで妥協してしまうことによって、人生で決して取り返せない致命的なダメージを受ける。その妥協は一つの妥協ではなく、人生の根底を覆す、決定的な一打となる。
だからこそ、絶対に譲れないものは絶対に譲れない。どんな犠牲を払ったとしてもそれだけは譲れない。そんな覚悟を持つことが大切である。
妥協してもいいことは妥協してもかまわない
人生は何もかも思い通りにならない。だがそれでいい。何もかも思い通りになるのではなく、ときに自分の意志とは違う選択をあえて、選ぶことも必要である。
「これを捨てても仕方ない」というものを妥協してあきらめ、「そのかわり私はこの一線だけは守ります」というラインを死守する。こうして人生にガッチリと筋が通る。
最低限、「これだけは」というものさえ守ることさえできたなら、他のものを妥協してあきらめたとしても、それは些末なことである。自分自身が譲れない大筋を守ること。それこそが結局は自分という人生を生きる、主たる目的なのである。
最後に
「自分の意志を曲げる」ことは必ずしもネガティブな意味を伴わない。
必要に応じて妥協をすることは構わない。むしろ、自分の意志を曲げることによって人生はより柔軟に、良い意味で自分の期待を裏切る展開を用意してくれることもしばしばである。
だがそのためには、「ここまでは譲れますが、これ以上は何があっても譲れません」という絶対的な一線を自覚することである。
なんでもかんでも妥協するのは自分がないだけである。自分を持ち、そして自分の人生に誠意を尽くすなら。妥協できること。そして妥協できないことの区別をすることが大切なのだ。
出典
『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』