不幸を幸福に転ずる唯一の方法はその不幸を味わい尽くすにある。
種田山頭火
人生どうせなら、幸せに生きられるほうが良い。
何もかもが順調で、やることなすことうまくいく。人からは愛されて応援され、そして経済的にも成功し、何不自由なく生きていく。それができれば人生は最高である。
実際に不幸がそこにある。それを否定しないで
ところが、あなたもご存知のとおりこの世の中で幸福な人生を実現できる人はごく一部の「例外」である。
たいていの人は、生きることに悩み、日々のしかかる不幸に押しつぶされようとするなかで、1日1日を必死に生きている。
もしあなたがそのなかの一人であるなら、ここに不幸に対峙するおすすめの方法がある。それは、今そこにある不幸を絶対に否定しない、ということである。
自分は不幸だ。人生何もかもがうまくいかなくて、こんな人生は生きる意味がない。そんな状況であるときこそ、自分が不幸であるという絶対的確信を、決して無視しないことである。
その上で、その不幸によってもたらされることすべてを、自分の両目を開いてしっかり見て、目の前の現実と直面することである。
すなわち、「自分は不幸かもしれないがなんだというのか?」と開き直って、すべてを受け止めるのである。
「幸せは不幸のあとにやって来る」の意
不幸は逃げれば追ってくる。
自分は不幸だけど、幸せになりたい。そんな状況では残念ながら、不幸はどんどん追いかけてくる。そして、「自分が不幸であることを認めなさい」と言わんばかりの出来事が起こり続ける。
ここから分かるのは、まず自分が不幸だと思ったら、それを絶対に否定しないこと。
自分の惨めさ。不安。悲しさ。そして絶望。自分が感じるネガティブなものをすべて、そこにあるもののとして、認めることが先決である。
自分が不幸を感じているのに、「自分はツイてる」とか、「これからいいことがたくさんある」とか、気休めを言っても仕方がない。
今ここにある不幸は間違いなくここにある。それを認め、受け入れることそれ自体に実は大きな意味がある。本当の意味で人生が好転するのは、まさにそこからである。
最後に
今不幸ならそれでいい。その不幸を味わい尽くす。それによって不幸を乗り越え、幸福を見出すことができる。この意味で、山頭火の言葉はとても示唆に富んでいる。
苦しみがあるから喜びがある。不幸があるから幸福がある。それは気休めの話ではない。実際の真実である。
すなわち、生きることに苦しめば苦しむほど。不幸をその身で実感すればするほどに。生きることの喜びを知り、そして幸福の喜びに歓喜することができることは紛れもない事実である。
だから苦しいとき。不幸なときはそれを噛み締めつつ、こう思えばいい。私は生きる喜びを知り幸福になるチャンスを与えられたのだ、と。
出典
『山頭火俳句集』