光は闇に照り、闇は光を包んだ。光、闇の中より生まれ、闇を照らした。光を育てたものは闇である。
冷ややかに運命の前に額(ぬか)ずく、それだけにとどまっていてはならない。微笑んで与えられた十字架を背負うようにならなければならない。
種田山頭火
人にはそれぞれ、生まれたときから与えられた運命のようなものがある。
それは一見すると不平等で不公平。理不尽極まりないもののように見える。そして実際、理不尽だと考えても仕方がない運命も存在する。
ただし人生長い目で考えれば、それが本当に理不尽かどうかは、全く別の話である。
なぜ不幸が幸福に転じるのか?
何度も何度も使い古された言葉に、「人生万事塞翁が馬」という言葉がある。
人生で起こる出来事の幸不幸は簡単には断定できないことの例えで、実際にこれは真実である。
人生面白いのは、全く不幸にしか思えない出来事が、実は後々、大きな幸せにつながっていることが少なくない。
例えば、私は20代で失敗続きで、まさに人生が文字通り詰んでしまったような、厳しい逆境を味わった。
そのときはただの「不幸である」としか感じることができなかったが、30代になってなぜ自分がそんな出来事を経験することになったのか?そして、その不幸な体験がなぜ今の幸せにつながっているのか?
手に取るように理解できる現実を手に入れることができた。
「良い」「悪い」を判断しない
人生の配慮は不思議である。
今現実の問題として、「どうして私はこのような経験をしなければいけないのですか!」と運命を罵倒したくなる出来事が起こったとしても。
長い目で見れば「その不幸があったからこそ」という現実があることを、知っておく価値がある。
だかこそ大切なのは、心の習慣を持つことである。今ここで起こる出来事に、「良い」「悪い」の判断をしないという、心の習慣を持つことである。
本当に大切なのは最後の最後
自分の人生の目の前に、どうしようもない不幸がやって来た。それによって、自分は生きる価値がない人生を生きている。そんな絶望感に打ちひしがれた。
しかしそこにかすかな光が差した。
その光を追っていくうち、やがて辿り着いた場所はまさに、自分が今まで無意識のうちに生きたいと思っていた、理想の人生が待っている場所であった。
だからこそ人生は万事塞翁が馬。今目の前に不幸があった。
だとしても、それで人生をあきらめる必要はない。自分の運命は最後には絶対に、納得できる物語になる。それを信じることである。最後は良くなる。きっと良くなる。
大切なのは、どんな暗闇のなかでさえ、かすかな光を見つけること。そして、それを追っていくこと。そうすればやがて、すべてに納得することができる。だから自分はこんな不幸を経験したのか、と。
出典
『山頭火俳句集』(岩波文庫、2018年)