日本には、「適材適所」という素晴らしい言葉がある。
これは主に仕事で使われる言葉で、「人にはいろんな能力や才能があるのだから、それぞれにふさわしい用い方をしなさい」という偉大な先人の教えである。
すなわち人には長所短所、得手不得手がある。だからこそ短所ではなく長所。不得手ではなく得手が生かせる環境。
あなたが自然に生きられる場所を見つけることが大切である。
人は結局環境次第
実際問題、人は環境次第でガラリと変わる。
本人の努力関係なく、ある場所では無能呼ばわりされる一方で、環境を変えた途端、有能なエースとなり、人生がガラリと変わってしまうケースが実際にある。
この意味で、「置かれた場所」で輝こうとする努力は必要かもしれないが、いくら頑張っても自分が輝けない場所があるという現実を知っておくことは大切である。
それは根性論ではどうにもならない、残酷な現実である。
いくらあなたが努力をしようとも、「こいつは無能である」と評価されてしまう環境では、努力云々の綺麗事では済まされない、世の中の厳しい現実を味うだけだからである。
この意味で、あなた自身が自分の適材適所を知ることは、とても大切なことである。
自分の居場所を見つけるために
自分がどんな場所で、どんな環境でなら輝くことができるのか?そもそも、空気を吸うように、無理なく自然に生きられるのか?
その点に関しては、徹底的にエゴイストになっても構わないのである。
なぜならあなたの人生を保証してくれるのはあなた以外はいない。誰かが親切にしてくれるときもあるけれど、最初から最期まで、あなたに本当の意味で寄り添ってくれる人はただ一人。
あなた以外、いないのである。
だから、あなたは信じていい。あなたが自然に、そして無理なく生きることができる場所が、この世のどこかにあることを。
そこにいてはいけない場所
繰り返すが、環境に適応しようとする努力は必要である。
「ここは自分がいるべき場所ではない」と失望した場所でさえ、あなたにとって人生で大切な気づきを与えてくれることが少なくない。
なので、「ここは気に入らない。だから自分のいるべき場所ではない」と脳筋的に考えてしまうのは、とても損な話である。
問題なのは、いくら環境に適応しようとしても、どうにもこうにも適応できない場合。もしくは、強制的にその環境から追い出されてしまう場合である。
例えば、人間関係に馴染む努力をしても、状況がますます悪くなる。嫌がらせされたり、パワハラされてそこにいるのが難しくなる。
このような場合、「そこはあなたがいるべき場所ではありません」という明白な証拠である。
なぜならあなたが本当にそこにいる必要があるならば、あなたが適応する努力をすることによって、居心地が良い場所に変わるからである。
だからあなたが自分自身を本当の意味で生かせる場所を探すことは、決して逃げることではないのである。
最後に
人生、大切なのはくだらない根性論を真に受けて、あなたの人生を無駄にしないことである。
世の中には、いくらどう頑張っても、決して馴染むことができない場所がある。そしてむしろ、そこに馴染まない方が、あなたは人として、まっとうな生き方ができる。
類は友を呼ぶで、環境は人をガラリと変えてしまう。
逆に言えば、適材適所。あなたが本当の意味で自分を生かす場所を見つけることができたなら。あなた自身が環境の力に驚くこと請け合いである。
つまり環境次第であなたは最高にも最悪にもなれる。
あなたは今いる環境を変えることはできないが、環境そのものを選ぶことはできる。何はともあれ、それだけはぜひ、意識しておく価値がある話である。
なんでもかんでも「今自分が輝けないのは、自分の努力が足りないせいだ」と自分を責めるのはやめることである。
あなたを必要としている場所が、この世のどこかに、必ずあるのだから。