性慾というものは怪物である。人間が生きているかぎり、それはどこかにひそんでいる。
若いときにはあまりに顕在的に、老いてはあまりに潜在的に。生存力、それは性慾の力といってもいいかも知れない。
食慾は充たされなければならない、これと同じ意味で、性慾も充たされなければならない、それが要求する場合においては。
個体維持。種族保存。性は生なり、といっても過言だとは必ずしもいえないだろう。生活と交際と不可離不可別である。
性慾は常に変装して舞踏する、それが変形変態すれば性慾でないかのようでさえあるが、性慾の力はそのうちに動いている。
種田山頭火
もし私たちの身近に、人為的な意味で人の人生を致命的にめちゃくちゃにしてしまうものがあるとすれば、それはまさに恋である。
人が誰かを好きになる。そして、その好きという気持ちが原因で人生がめちゃくちゃになってしまう。恋には、そんな恐ろしい力がある。
なぜあやまちを犯してしまうのか
地位や名誉もお金も持っているのに女性問題で社会的に詰んでしまう人。「好き」という気持ちが極まりすぎて相手の迷惑も考えずに24時間つきまとうストーカー化しまう人。
周りを見渡せば、恋によって人生が台無しになってしまった人たちの具体例を、いとも簡単に見つけることができる。
彼らは多分、決してバカではない。それはある意味、仕方がなかったことなのだ。分かってはいてもどうしようもならなかったことなのだ。
恋とは性。そして性にこそ人生が
なぜなら、恋の背景には性がある。性とはすなわち人が生きる本質的な理由である。
自分という存在はいつか必ず滅ぶ。しかし、自分が伝えていく性は、これからの世も、延々と生き続けていく。
人は恋をして、そして性を実感する。その力は決してバカにしてはいけない兄弟な力を持っている。
だからこれからもこの先も。恋で人生が狂う人は、決していなくならないのである。
出典
『山頭火俳句集』