
人が苦難を乗り越えて生き延びるうえで重要なのは、失敗しない能力や倒れない強さではなく、失敗や挫折から這い上がる力だということが言われている。
どんなに高い能力や強靭な体力をもっていたとしても、それを上回る試練がやってくれば、どうすることもできない。
つまずいた経験がないと、自分の力が通用しない事態を受け入れることができず、あくまで戦おうとして致命傷を負ってしまう。
それは単なる敗北ではなく、心の背骨を砕かれてしまうことになる。そうなると、もはや再起することができない。立ち上がって、もう一度戦うという戦意を喪失してしまう。
岡田尊司(『生きるための哲学』より)
人生を生き抜くうえで、本当に必要なものがあるとすれば、それは「折れない心」だと私は思う。
挫折し、絶望を味わい、失敗が続いて何もかも上手くいかないときでさえ、決して折れない心。それは、「いつか必ず良いときがくる」と信じ、再び立ち上がって前に進むための「強さ」である。
この「折れない心」さえあれば、人は人生で何度でも立ち上がり、やり直すことができる。そしてやがて、自らの歩みで「めでたしめでたし」と呼べる地点にたどり着くことができるのだ。
自分が本当の意味で「試される」とき
人生において、強い意志や意欲を持ち、絶え間ない努力を続けることで、多くの問題や試練は乗り越えることができる。しかし残念ながら、自分の人生で100戦100勝をおさめることを期待するのは非現実的だ。
どれほど運に恵まれていようとも、いつか大きな試練が必ずやってくる。そして、「もう自分はダメかもしれない・・・」と心の底から打ちのめされるような、厳しい挫折を味わう。
そのときには、強い意志があろうと、自信があろうと、どうにもならない場面がある。目の前の壁は限りなく高く、自分の力ではとても乗り越えられそうにない。そう思える瞬間がある。
自分が本当の意味で試されるのは、まさにこのときなのである。
転んだ数だけ、強くなれる。
現実があまりにも厳しく、「もう自分には無理だ・・・」と膝を屈しそうになるとき。そのとき力になってくれるものこそ、打ちのめされても再び立ち上がることができる 「折れない心」 である。
それは、「自分はダメかもしれない。だが、それでもなんとかやってやる」と立ち上がる意思であり、「必ず立ち上がれる」と信じる未来への希望でもある。そして、この心さえあれば、どんな逆境であっても乗り越えることができる。
なぜか。それは、人生に打ちのめされるたびに立ち上がることで、人は以前よりも必ず強くなれるからだ。転び、そして立ち上がる。この繰り返しの中で、私たちは人生から確かに「鍛えられていく」のである。
だから絶対、ネバーギブアップ!
最終的には、人生は諦めさえしなければ必ずなんとかなる。だからこそ、結局人生でモノを言うのは「心の強さ」である。どんなときでも折れずに立ち上がる心さえあれば、人生は決して怖くない。
だからネバーギブアップだ。何度打ちのめされてもいい。くじけてもいい。「もうダメかも・・・」と不安になることだってあっていい。大切なのは、その地点から再び立ち上がり、前へと進み続けることができるかどうか、ただそれだけである。
そのために必要なのが「折れない心」だ。人生が思い通りにならないとき。理不尽とも思える現実が目の前に立ちはだかるとき。「もう、だめだ」と投げ出すのではなく、「よし、這い上がろう」と希望をつかみにいく姿勢こそが重要である。
そして、その希望に火を灯し続けてくれる最大の味方。それが「折れない心」なのだ。
最後に
「失敗や挫折から這い上がる力」は、経験を通じてこそ身につくものである。
人生において無傷でいることは、必ずしも誇らしいことでも、幸運なことでもない。むしろ、年齢を重ねるほどリスクが増していく。すなわち、「一度も失敗したことがない」という現実こそが、最大のリスクになり得る。
だからこそ、「七転び八起き」である。適度に転び、その都度立ち上がることを学ぶことが大切だ。その経験を通じて手に入るのは、「失敗しない能力」でも「倒れない強さ」でもない。「失敗や挫折から這い上がる力」である。
それは外側からは決して見えない、内なる「強さ」だ。そしてこの強さこそが、人生の危機から私たちを守ってくれる、確かな鎧となるのである。
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