確かに私たちは落とし穴に落ちることもある。だがそれが絶望という穴ぐらであるとは限らない

手元にある光を見つめて

運命の落とし穴はどこに口を開けて待ち構えているかわかりませんが、しかしそれは絶望という穴ぐらであるとは限りません。希望の世界への出口が開いている場合もあるのです。

ミザリィ

のっけから個人的な話で恐縮だが、私は「人生は生きてさえいればなんとかなる」という価値観を持っている。

というのは、人生で「もう自分の人生は終わりではないか」という現実を幾度も経験したが、絶望の時期はあくまで人生の一時期であり「それは必ず終わる」ということを、実体験として学ぶことができたからだ。

人生はある日突然、何かが起こる。だがそれは「人生万事塞翁が馬」。何が起こってもそれはきっと良いことに変わる。そう信じることが大切だと思うのだ。

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はじめに

人生で絶望を味わうことにはプライスレスの価値がある。絶望が希望を知るための「過程」であることを学ぶことができるからである。

幸せをかみしめる人は不幸せな現実を知っている人である。不幸せをその身で経験するからこそ、幸せとは何なのかを知ることができる。そして「ありがたい」という言葉を、心からかみしめることができる。

確かに私たちはある日突然、落とし穴に落ちたかのような想定外のトラブルに見舞われるものである。未来を予想し対策を立て、安心安全の人生を準備したところで、何かが起こるときは問答無用で起こる。

だがそれが起こり、絶望という穴ぐらに閉じ込められてしまったように思えても、それから時間が流れてすべてが過ぎ去ったとき。「あのときが、自分の人生が好転する転換期だったのだ」と気づく。

それは確かにそれが起こった時点では絶望のように見えるかもしれない。絶望にしか思えないかもしれない。だがほんの少しだけでもいい。こう考えてみよう。「それは希望の世界への出口かもしれない」と。

「人生は何が起こっても捨てたものじゃない」という信念

災い転じて福となす。起こることはどうしても起こるが、重要なことはそれが起こったあとの、私たち自身の身の処し方である。

この世界では、私たちが見ようとしないものはそれが実際にあったとしても見えない。「もうだめだ」と目を閉じてしまったとき、目を開けていれば見えていたはずのものは見えなくなる。

だが、ここで私たちは選択することができる。目の前に「絶望」という名の現実があったとしても、「それは絶望という穴ぐらであるとは限らない」と考え目を開いておく。

それによってその絶望は「希望」という名の未来に変わる可能性が生じる。だから絶望はしてもいいが、絶望に飲まれてはいけない。

「絶望した経験をすること」それ自体は、人生を長い目で考えるならとても価値がある経験である。人生は何が起こっても捨てたものじゃないこと。幸せとは何なのかということ。絶望を知るからこそ初めて学べることがあるのだから。

それが起こった「意味」は、やがて分かる

人生でそのときそのときで起こることはあくまで「点」である。「点」はつながっていくことで「線」となる。点がどのような線となっていくかは、すぐにはわからない。それはあとになって振り返り、初めて認識できるものである。

人生どんなときも、今そこで起こっている現実を現実として受け止めることは大切だが、それを未来まで引き伸ばす必要はない。すなわち「私は今、絶望的です」という現実がそこにあったとしても、「私の未来も絶望的です」とは限らない。

人生はいつどこで、何が起こるかわからない。そして、起こったことがその後、どうなるかはわからない。むしろ、「思わぬこと」「想定外のこと」が起こったときほど、それは人生において大きな転機となる可能性が高い。

それが思わぬことで、想定外のことで、現実を変えてしまうほどの力を持つ出来事だからこそ。そこから良い意味で自分が考えてもいない、新しい未来が開ける可能性がある。

だから、自分で結論を早急に下してしまうのは避けたほうがいいだろう。もしかしたらそれは(長い目で見れば)いいことに変わる可能性の方がむしろ高いのだから。

最後に

人生で起こることは、「自分が事前に用意した問題集」かどうかはわからない。私たちがこの世界にいるのも、私たち自身が成長するためなのかどうかも、わからない。だが一つだけ確かなことは、すべては変わっていくということである。

「もうだめだ」と自分の人生に見切りをつけたくなったとき。「何をしてもどうしようもない」と無力感に打ちひしがれたとき。確かにそのときに見える唯一のものは、絶望かもしれない。

だが「その絶望をした時点」でさえ実は、人生の一過程にすぎない。絶望という「底」を迎えたからこそ、むしろこれからに希望が持てる。

本当に本当に、人生はいつどこで、どうなるかわからない。だからこそ生きてさえいればなんとかなる。人生に光が差し込む。そしてきっと良い時期が訪れる。人生はどんなときも捨てたものじゃないことは、確かである。

だからこそ伝えたい。「人生は生きてさえいればなんとかなる」と。

出典

『アウターゾーン 第10話』