そうだね、失望の材料が多すぎる時代は、つまり希望の材料が多すぎる時代だからね。どんな悪がしこい希望でも、どんな凶悪な希望でも、希望の材料になりうる時代だね。
僕たちは希望のちっぽけな偶像をつくるために、いろんな粗悪品に裏切られるけれど、そんな粗悪品から傑作を作るということは素晴らしいじゃないか。
失望を願えば失望も希望の対象になりうるし、人間ってものは何かを願っているあいだは、その対象を忘れていられるんだからね。
易
意識するかしないかにかかわらず、私は自分の人生に「何か」を期待している。「私の人生には◯◯がふさわしい」という青写真を、知らず知らずのうちに描いている。だからこそ、人生には避けられないものがある。それが「失望」という体験である。
日々直面するのは、心の片隅で密かに期待している理想の現実ではなく、「思っていたのとは違う現実」ばかりである。そしてそこに待っているのは、「こんなはずでは……」というガッカリするような体験だ。
人生に期待すればするほど、期待が外れたときの失望感は大きくなる。だからこそ、重要なのは失望の受け止め方である。失望は、それに私たちが意味や価値を見出さない限り、ただの失望にとどまってしまう。
そこで本記事では、人生における失望の意味を見出す視点と、失望と上手に付き合っていくためのヒント、そして失望を通じて希望を見出すための考え方を提示したい。
はじめに
まず最初に、意識しておきたい重要なことがある。それは、「なぜあなたが失望したのか?」という理由である。そう、失望の裏側には、常に希望がある。
あなたは、何らかの希望を抱いていた。その希望に反する現実が訪れたからこそあなたは失望したのである。
そもそも、である。もしあなたが人生において何も期待していなければ、失望を感じることなどなかったはずだ。
人生に何も期待しないということは、そもそも失望さえ感じる余地がないということである。だが、あなたは失望した。ということは、あなたは何かを期待していたということだ。
それはつまり、「あなたが人生に希望を抱き、前を向こうとしていた」証である。まずは、このことをしっかりと意識することが大切である。
失望に対処する心の習慣
今回、あなたは失望してしまった。そのとき、感情は簡単に荒波のように押し寄せ、私たちを飲み込んでしまう。だからこそ、そうなる前に「なぜ、私は失望しているのか?」と自分に問いかけてみることが大切である。
具体的に、何が失望感を引き起こしているのか。自分自身を客観的に見つめることで、まず感情的な冷静さを取り戻すことができる。
それと同時に、あなたが感じた「失望」というマイナスの中に、プラスを探してみる。物事には、必ずプラスとマイナスの両面があるからだ。
もしかすると、その失望は、何かをあなたに伝えようとしているのかもしれない。そのメッセージに今、気づくことができれば、やがてあなたの未来に希望の道が開けるかもしれない。
失望と感情的に距離を置き、その失望がもたらしたプラスに気づく。そのうえで重要なのは、「だから、もう期待するのはやめよう」と結論づけることではない。むしろ、「期待の水準を少し下げてみよう」と考えることである。たとえば、「最高を目指す」のではなく、「今より少しだけ良くなる」ことを期待する。
人生に大きく期待するのではなく、今より3%でもいいから、何かが良くなることを願ってみよう。そのために、大きなことを始める必要はない。今すぐできる、小さな一歩を踏み出してみるのだ。こうして失望は、前へ進むための推進力となる。
それは、生きることの一部。
「失望の材料が多すぎる時代は、つまり希望の材料が多すぎる時代だからね…」
この言葉が示すとおり、私たちが「生きる」ということは、希望も失望も含めて、すべてが人生の一部であるということだ。それはつまり、人間らしさそのものであると気づく。
だからこそ、大切なのは失望を避けることではない。失望と上手に付き合い、そこから何かを感じ取り、学び、そして新たな何かを生み出していくことが大切なのである。
失望というマイナスに出会ったとき、そこには必ず、希望というプラスが隠されている。マイナスばかりを見ている間は、それはマイナスでしかない。だが、転んだときこそ、人間力を発揮し、自分を磨くチャンスが与えられているのだ。
だからこそ、である。人生において本当に重要なのは、「起こったこと」そのものではない。大切なのは、「起こったことに対して、私たちがどう反応するか」なのである。
最後に
最も醜い場所で、最も美しいものを見つけることができる――これこそが、人生における最大の皮肉のひとつである。
それが醜ければ醜いほど、そこにある美しさには、より簡単に、そして鮮やかに気づくことができる。失望が大きければ大きいほど、そこに隠された小さな希望は、より大きく心に響く。
生きるということ。それは、失望と共に歩んでいくことなのかもしれない。だから、失望してもいい。大切なのは、失望そのものを否定することではなく、その失望とどう向き合い、その裏側にある希望に気づけるかどうかである。
私たちは、その気さえあれば、何度でも立ち上がることができるのだから。
出典
『青の時代』