人生において本当の意味で危険なタイミング。それは不運の時ではなく幸運のときである

驚く女性

築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。

チャーチル

人生で大きな悲劇が起こるとき。それは不調のときではなく、むしろ好調のときにこそ「原因」が作られている。

人生がうまくいっていないとき、目の前には「うまくいっていない」という現実がある。たしかに、それは不幸な時期に見える。

しかし、そこでやけを起こしたり短絡的な行動を取ったりせず、静かに過ごすことができれば、必要な学びを経たのち、やがてその時期は終わる。そこからしばらくすれば、再び上昇フェーズに入る。

つまり、人生がうまくいっていない時期には、その時期に必要な課題を避けることはできないが、身の処し方や心構えに注意することで、トラブルや被害を最小限に抑えることができる。

言い換えれば、不調の時期にはたしかに不運やトラブルは起こるものの、本当の意味で人生に重大な影響を与えるような「致命的」な出来事は、むしろ起こりにくい。

だからこそ、注意すべきは人生の好調期である。なぜなら、「好事魔多し」。好調であるがゆえに、その罠に気づきにくく、自分自身が気づかぬうちに自滅の種を蒔いてしまうからだ。

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はじめに

個人的な話で恐縮だが、ある年を境に私は「人生の中休み」とも言える時期に入り、様々な事柄を整理する時間が訪れた。

そこで改めて運命学の研究に取り組み始めたのだが、どうやら人生には避けることのできる「波」のようなものが存在するらしい、ということがわかってきた。

そこで、自分自身の経験だけでなく、著名人たちの一般に公開されている経歴をもとにその波を検証してみた。

すると興味深いことに、彼らの多くがいわゆる「キャリアの頂点」を境にして、トラブルやスキャンダルに巻き込まれている事例が少なくないことに気づいた。

メディアなどで報じられた事例を見ても、業界で確固たる評価を築き、「安泰」と見なされていた人物や、大きな成功を成し遂げた人物が、突如としてトラブルに見舞われている。

それぞれ職業も性別も異なるにもかかわらず、そこには一つの共通点があった。それは彼らが頂点に向かうその過程において、「自らを自滅へと導く種」を、自らの手で蒔いていたということである。

つまり、上昇の途中でやがて爆発する「地雷」が、あたかも無意識のうちに自分自身の手で仕込まれていた、ということだ。

原因は「自らの手」で好調期に作られる!

長年の取り組みによって確固たる実績を築き上げた人物が、その信頼を一瞬で失い、それまで積み上げてきた「プラス」が、ゼロどころか「マイナス」へと転じてしまうことがある。

こうした事例がいつ、どのようなタイミングで起きるのかを調べていくうちに、一つの傾向が見えてきた。

それは、運気が低迷している時期ではなく、むしろ運気が絶好調の時期――特に、人生が「盤石」になったと見える頂点のタイミングで起こるケースが多い、という事実である。

自滅の種は、人生が上向いているときにすでに蒔かれている。しかし、そのとき本人はそれに気づかない。

なぜなら、上へ上へと昇っている最中には、周囲からの評価も高く、すべてが順調に見えるからだ。だが、頂点に到達したあと、その種は徐々に芽を出し始める。

この意味において、人生における大きな危機の「原因」は、不運のときに作られるのではない。むしろ、幸運の最中にこそ静かに育っている。

頂点に到達するということは、裏を返せば、そこから先は「下り坂」が待っているということでもある。

勢いのある人を、正面から攻撃する者はいない。だが、その人が落ち目に差しかかった瞬間、それまで潜んでいた敵意が、一斉に牙をむくのだ。

問題は警告に気づけるか

私自身にも反省すべき点があるのだが、仕事やプライベートがうまくいっているときには、自分の意識の有無にかかわらず、どうしても自我が肥大し、「傲慢さ」が顔を出してしまう。

その結果、「自分のやることはうまくいく」と過信したり、「自分は正しい」という前提のもとで人を安易に裁いたり、上から目線の態度をとってしまう。そうした言動が、知らず知らずのうちに人の反発を招くようになる。

本来であれば、自分自身が強い意志と謙虚さをもって、その傲慢さに歯止めをかけるべきなのだが、調子のよい時期というのは、自分の実力以上に物事が順調に進んでしまうため、そうした自制が非常に難しくなる。

やがて将来の火種がくすぶり始めると、必ずどこかで「そろそろ、やめておけ」という警告サインが出始める。

しかし、そのサインを無視し続けていると、「自分は何をしても大丈夫だ」という思い込みが強まり、さらなる自我の肥大を招く。

そしてあるタイミングを超えたとき、その影は一気に噴き出し、今まで築いてきたもの、手に入れてきたものを一瞬で失う。これが、典型的なパターンである。

「弱り目に祟り目」とは、まさにこのことなのだろう。だからこそ、人生が順調に進んでいるときほど、なおさら腰を低く、謙虚に構える姿勢が必要なのだと、つくづく思う。

最後に

なぜ人生には山あり谷ありなのか。最近はむしろ、「谷」が存在することの必要性を強く実感している。

もしも人生で良い時期が続き、それが当たり前のようになってしまえば——いや、当たり前だと錯覚してしまえば——人は次第に傲慢になり、自分の限界や弱さを忘れてしまう。

だが、悪い時期が訪れることで、自分という人間の不確かさや不完全さに気づくことができる。それは、ある意味でとても貴重なことなのかもしれない。

「自分は特別である」

「自分は何をしても大丈夫だ」

このような思い込みを持ってしまえば、その先に待っている未来は、ある意味で明白である。

そう考えると、人生に「谷」があるのは、私たちがそのような過ちに陥らないために用意された、ひとつの仕組みなのだろう。

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