築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。
チャーチル
人生で大きな悲劇が起こるとき。それは不調のときではなく、むしろ好調のときにこそ「原因」が作られている。
人生がうまくいっていないとき、うまくいっていないという現実が目の前にあるのでそれはたしかに不幸な時期に見える。が、そこでやけを起こしたり、短絡的な行動を控え静かに過ごしていれば、必要な学びを経たのち、やがてその時期は終わる。
そこからしばらくすれば、再び上昇フェーズに突入するので、人生がうまくいっていない時期は、その時期に必要な課題を避けることはできないものの、身の処し方や心構えに注意することで、トラブルや被害を最小限に抑えることができる。
すなわち、不調の時期は不運やトラブルは起こるものの、本当の意味で人生に重大な影響を与えるような「致命的」な出来事が起こりにくい。
むしろ注意したいのは、人生の好調期である。なぜなら好事魔多し。好調であるがゆえに、その罠に気づきにくく、そして自分自身が気づかぬうちに自滅の種を蒔くからである。
はじめに
個人的な話だが、2022年現在、私は人生の中休みに突入し、様々な事柄を整理する時期が訪れた。そこで改めて運命学の研究に取り組み始めたのだが、どうやら人生には避けられる波のようなものがあるらしいことがわかった。
それで個人の経験だけでなく、著名人の一般的に公開されている経歴をもとにしてその波を調べたのだが、興味深いことに、彼らの多くがいわゆる「人生の波やキャリアの頂点」を境にして、トラブルやスキャンダルに巻き込まれる事例が多いことに気づいた。
最近メディア等で取り上げられた事例でも、業界で確固たる評価を築き上げ、「安泰」の地位を得た人物や、大きな成功を成し遂げた人物にトラブルが降り掛かっている事例が確認できたが、それぞれの職業や性も違うにも関わらず、一つの共通点があった。
それは、一つの頂点に達しつつあるその過程で「自らを自らの手によって自滅へと導く種を蒔いていた」ということである。つまり、上へ上へと向かう途中にやがて爆発する地雷が仕込まれていたのである。それも、自らの手で。
原因は「自らの手」で好調期に作られる
長年の取り組みにより確固たる実績を築き上げた人がその信頼を失い、それまで長い時間をかけて築いてきた「プラス」が一瞬にしてゼロどころか「マイナス」になってしまう。
こうした事例がいつ、どんなタイミングで起こるのかを調べていくと、あるタイミングに訪れる。それは、運気の低長期ではなくて、むしろ運気の好調期。それも、頂点に達した段階のような、いわば人生が「盤石」になった時期に多いことに気づく。
自滅の種は人生が上向いているときに蒔き始められるのだが、それが蒔かれていることを上へ上へと向かっているときには気づかない。それは、頂点に到達したのち、芽が出始める。
この意味で、人生で訪れる大きな危機の原因は不運のときに作られるのではなく、むしろ幸運のときに作られる。
頂点に到達したということは、そこから先「下り」が待っていることを意味する。勢いがある人を正面から叩く人はいない。しかし落ち目に入った瞬間、隠された敵意が一斉に、牙をむき出すのだ。
問題は警告に気づけるか
私自身でも反省するところがあるのだが、仕事やプライベートがうまくいっているときは、自分が意識するしないに関わらず、どうしても自我が肥大化し、「傲慢さ」が顔を出てくる。
その結果、「自分がやることはうまくいく」と過信をしたり、「自分は正しい」という前提のもとで人を安易に裁いたり、上から目線の態度をとってしまい、知らず知らずのうちに人の反発を買うようになる。
そこで自分自身が強い意思と謙虚さを持って歯止めがかけられると良いのだが、調子の良い時期というのは自分の実力以上に物事がうまくいってしまうため、それがなかなか難しい。
将来の火種が用意されようとしているときには必ず「そろそろ、やめておけ」という警告サインが出始める。
だが、その警告を無視していれば、「自分は何をしてもOKである」と更に自我肥大化は進む。その結果、あるタイミングを超えた段階で、一気にその影が噴出する。
そして、今まで築いたもの、手に入れてきたものを一瞬で失う。これが典型的なパターンである。だからこそ「弱り目に祟り目」になるのだが、つくづく、人生がうまくいっているときはなおさら、腰を低くかがめることが必要なのだろう。
最後に
なぜ人生は山あり谷ありなのか?最近はむしろ、「谷」の必要性を実感する。
人生良いときが続けばそれが当たり前であると錯覚する。いや、勘違いする。良いときだけでなく、悪いときが訪れることで、自分という人間の不確実さや不十分さを実感できる。それはとても良いことなのかもしれない。
「自分は特別である」
「自分は何をしてもOKである」
このような認識を持ってしまえば、その先に待ち受けている未来は明瞭である。人生に「谷」があるのは、そうならないために用意された、適切な仕組みなのだろう。