
われわれば人間の生活を一つの原料にたとえることができます。この原料そのものは、それから引き出されるものほど重要ではないのです。芸術品の場合と同じように、そこで評価するべきは、作者がそこに何をこめることができたかということです。
われわれはいろいろなものを授かって生まれます。ある者は黄金を、また他の者は花崗岩を、第三の者は大理石を、そして大部分の者は木材や粘土を授かっています。われわれの任務はそれらの原料を加工するに在るのです。
シャルル・ヴァグネル(『簡素な生活』より)
人生は自分という名の原料を加工し、何かを作り上げる作品であるというシャルル・ヴァグネルの言葉は、自己啓発の命題として非常に興味深い。
それはすなわち、「自分が持って生まれた資質(原料)を最大限に活かすことで、価値あるもの(人生)を作り上げる」という、人生の目的そのものを指し示している。
自分の持ち味、特徴を知る。それは人とは確かに異なるものだ。だからこそ、他の人が作れるものを、自分が作ることはできないかもしれない。
しかしその一方で、自分にしか作れない何かもきっと存在している。シャルル・ヴァグネルの言葉には、そんな深い意味が込められているように思うのだ。
はじめに
私たちは、人それぞれ、異なるものを授かって生まれている。ある者は黄金を生まれながらにして授かり、またある者は、木材や粘土を授かって生まれる。
黄金を持つものは黄金を加工して金のブレスレットを作ることができる一方、木材や粘土を授かった者が、その材料を用いて金色に輝くブレスレットを作り出すことはできない。それは変えようのない事実である。
しかし、その逆に、木材や粘土からしか生み出せないものは確かに存在する。だからこそ、私たちは自分が一体何を授かったのか、その原料(才能、環境、性格など)を知り、正直に受け入れることが大切なのではないだろうか。
それがまさに、自分の人生を歩む第一歩であり、自分にしか生み出せない何かを知るための方法だからである。
原料を「芸術品」に変える努力・経験・学習という名の「加工」プロセス
自分が授かったものを冷静に確認した上で、次に最も大切なのは、その原料を適切に加工することである。
自分という原料を加工するということ。それは、努力や学習、経験、習慣と考えればわかりやすい。
・自分が向いていること、もしくは向いていないことを知る。
・どこの場所で、どの分野で何を学べば、自分が活きるのかを考え、努力し、必要なことを学習する。
こうして様々なことを経験し、自分にとって良いことを習慣にし、悪いことを改善していく。これこそがまさに、「原料を加工する」プロセスである。
原料の価値がすべてではない。大切なのは人生という作品に「何を込められたか」
自分という原料を加工する上で最も大切なことは、人生の作り手である自分自身が、そこに何を込めることができたか、ということである。
そのとき、「自分は粘土しか与えられていないから、大したものを作ることはできない」と考え、熱意を込めずただ粘土をこねあげることはできる。
その一方、「この粘土から、最高の像を作ろう」と考え、熱意や時間、工夫を注ぎ込み、完全オリジナルの像を生み出すこともできるのだ。もし人生の価値を決めるものがあるならば、その情熱と意思が、それを決めるだろう。
大切なのは原料それ自体ではなく、そこに「込められるもの」である。それこそがまさに、この地上に唯一存在する「芸術品」となるのだから。
最後に
私たちは、それぞれ何かが与えられている。
それが何であれ、今日から今すぐ、何か(熱意、学び、行動、経験)を込めることができる。それだけは確かに、私たちに与えられている「裁量」である。
たとえ「黄金」が与えられていなくても、「木材」が与えられているのであれば、そこにある軽さ、温かみ、加工のしやすさに着目し、木材からしか作れない何かを、作ることができるはずだ。
そう、大切なのは原料を加工する努力、そして想いなのだ。「われわれの任務はそれらの原料を加工するに在る」のだから。
自分という原料を知るヒントをお届けします


