ほんとうにそれはあなたのせい?「自責思考」の問題点

がけっぷちに立つ男

「自分の人生がうまくいかないのは◯◯のせい」

世の中には、全ての原因を自分以外の何かに押し付ける「他責思考」の人がいる一方で、人生で起こる出来事はすべて自分の責任と考える「自責思考」の人がいる。

一般的には、後者の思考をする方が最終的には幸せな人生を送る可能性が高いのは間違いのない事実である。

目の前に問題が起こる。その原因を「◯◯のせい」ではなく「自分のせい」と考えるなら、その問題を「では次からこうしよう」と自分を成長させるための経験にすることができる。そのため、自責思考は人間力を否が応でも高めざるを得ないからである。

少し前置きが長くなってしまったが、だから私はここで「あなたも今すぐ自責思考に変えていきましょう」と言いたいわけではない。

むしろここで言いたいのは、「自分に責任があることは自分の責任として受け止めつつも自分の責任の範囲を明確にしておきましょう」という話である。

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はじめに

「自責思考」は意識的なチョイスである。自分自身を成長させるための鞭として「自覚的」にその思考を選択するならばOKである。

しかしどうにも感じるのだが、「それはあなたの責任ではないですよ」ということですら「自己責任」として感じさせようとする空気感が蔓延している気がしてならないのだ。

たとえば客観的な事実として、1990年代より30年間も日本人の平均所得は下がり続けている。

「その原因は日本人がなまけものになったからなのか?」というとそんなことはなく、冷戦の終戦による世界における日本の立ち位置の変化や、消費税の増税や非正規雇用の拡大といった「環境」の変化にその根本的な原因がある。

日本経済が縮小するなか、豊かになる人より貧しくなる人が増えていくのは至極当然の話である。

彼らの一部は昔ならば就職に困らずそれなりの暮らしができた人がほとんどであり、生まれた時代さえ違ったのなら。いや、3年5年、「生まれたタイミング」が違ったのなら。全く別の人生を送っていた可能性は極めて高い。

また近年、学生の多く(2021年の段階では3人1人)が奨学金という名の借金を背負い学業に励んでいるのは彼らの責任なのか?彼らが1960年代に学生生活を送っていたら、今よりもっと楽に「自力で」大学を卒業することができただろう。

このように「環境」が原因となり私たちの人生を変えてしまう状況は多々ある。「それはすべて自分のせいです」と考えることは明らかに不合理であり、現実とは程遠い。昭和と令和はあらゆる環境が違いすぎる。

自分の「責任の範囲」を明確化せよ

自分の責任は自分の責任。しかしあなたが普通に歩道を歩いていて、いきなり後ろから自転車に追突されたとき、「追突された原因は私です」と考えることは明らかにおかしいと思うだろう。

このような現実があるにもかかわらず問題なのは、「自分のせい」と考えさせられてしまう、なにか別の要因があるのではないかと感じている。

私たちは環境の生き物である。いくらわたしたちが気合いや根性、強靭な精神力を持ったところで外部からの影響を完全にシャットダウンすることはできない。

気温が40度を越えれば猛烈に汗をかく。雪が舞う寒い冬の日は体がこわばる。外部環境というのは、問答無用で私たちの人生に影響を及ぼす。環境に適応しようと努力することはできるが、それも限界がある。

大切なのは、何が自分の責任で何が自分の責任ではないのか?然るべき境界線を引いた上で、物事を判断することが大切である。

自責思考はこの境界線をあいまいにし、本来なら自分の責任でないことすら自分の責任として自己洗脳してしまう。すると、本来明らかにされるべき原因の存在があいまいになり、本質的な問題の解決を困難にする。ここに、一番の問題がある。

自己責任論はそれを用いる人次第

もしもあなたがどこか格差の激しい国を支配する独裁者で、その国民の多くが自分が貧しい理由を「それは自分の責任なんだ」「自分がダメだからなんだ」と考えてくれれば、あなたは為政者として毎夜安心して眠りにつくことができるだろう。

なぜなら、いくら私利私欲を追求し多くの国民が貧しく不幸になっても、自責思考の国民が為政者の責任を追求することはないからである。だからこそ安心して私利私欲を満たすためのあらゆる行動を起こすことができるのである。

為政者という例えが分かりにくければこう想像してみるといい。あなたがいわゆるブラック企業のオーナーであり、そこで働く社員がみな「私がこの苦しい生活をしてるのは自分の責任だ。会社は悪くないんです」と考えたなら?

彼らの待遇を改善しようとする気は起こらないだろう。それどころかさらに「自己責任」を題目に、彼らの労働力を搾取しようとするかもしれない。

このように、「自己責任論が特定の人々にとってとても便利なツールになっている」という側面を認識することはとても大切である。

確かに、「自分の人生で起こることは自分自身の責任である」と考えることは個人の成長を促す側面はある。だがその向上心はかんたんに、第三者によって悪用される危険性をはらんでいるのである。

最後に

「自責思考」は確かに自分を成長させていく面では大切な思考法であることは間違いがないが、場合によっては本当の問題から目を背け、悪い状況を延々と継続させてしまうという極めて危険な思考法にもなりうる。

この点、自分で「選択的」に自己責任を主張することは個人のチョイスだが、問題はそれを人から押し付けられる場合である。「それはあなたの責任なんです」「悪いのはあなたです」と主張する人物には注意した方がいいだろう。

つまるところ、なんでもかんでも「○◯のせい」と自分以外のせいにすることは論外だが、人生の問題や障害の原因を「全て」自分に帰結させることは明らかに間違っている。

だから、何があなたの責任で何があなたの責任でないのか。あなたが責任を取れる範囲について、客観的に判断することが大切である。「これは私のせいではありません」ということまで、自己責任を押し付けられる言われはないのである。

私はここで「被害者意識」を持つことを説いているのではない。大切なのは責任の明確化であり、適切なバランス感覚である。くれぐれも誤読のないようにお願いしたい。