「かえるの子はかえる」とは限らない。誰もが突然変異する可能性を持っているから

花に囲まれる女性

「かえるの子はかえる」という言葉がある。

「子どもは結局、親と似たような人間になる」という意味の言葉だが、その根拠となる理由はシンプルである。

子どもは両親の遺伝子を引き続いだ上で、両親の養育を受けて育つ。そのため、「突出した遺伝子を持たない親が、自身の用意した環境で、自身の考え方に基づき子どもを育てたら、必然的に子どもも親と似たようになる」というのがそれである。

確かに「子どもが親の遺伝子を引き継ぎ親の用意した環境で育つ存在なのだから子どもは親を超える存在になることはできない」という理屈は理解できる。

だが人は本当に、「かえるの子はかえる」なのだろうか?私たちは「どんな人になるか」が決まっているのだろうか?「トンビが鷹を産む」ことはないのだろうか?この記事はその疑問に対する一つの見方について書いていく。

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はじめに

人は誰であれ、何かをきっかけにして驚くほど変わることができる。

小さい頃、周囲から「こいつはロクな人間にならない」と周りに見捨てられ、本人も「どうせ私はロクな人生を送れないのだ」と諦めていたにも関わらず、その後周りを「あっ」と驚かせるような人物に「変身」する。

それは確かに「例外」かもしれない。だがそれは事実として起こる。特殊な例であれ、人は確かに変わりうる。ではその変化を起こす条件とは何か。その重要キーワードが「心」である。

突然変異は起こり得る。本人の「心」が変わること、すなわち「内面」が変わることによって現実という「外面」も変わりうる。そして、私たちが持っているもののなかで唯一、自分自身がどのように扱うのかを決めることができるもの。それが「心」である。

「期待する」ことはそれに「意識を向ける」こと

「量子物理学」という自己啓発において注目される学問がある。それによると、物質が顕在化するための条件があるという。それは「意識を向ける」こと、つまり「それが起こることを期待する」という内面的なアクションである。

それは「何かが現実という「外の世界」に現れる前に、まず心という「内の世界」においてそれはすでに存在していた」という指摘である。

例えば『現象が一変する「量子物理学的」パラレルワールドの法則』という本では、「期待する」ことを「観測する」という表現で、物事が顕在化する仕組みについて述べられている。

「観測する」ことでそれは世界に顕在する確率が生じるという話なのだが、ポイントはシンプルである。「◯◯したい」と心の中で考えたり願ったりする(観測する)。それによって「それが可能となる可能性が生じる」のである。

それは最初に「心」のなかにあった

私たちが日常に目にするものは、まず最初に人の心から生まれた。政治システム、服や靴、料理、本、こうしたものが現実に生まれる前にはまず、「それを考えた人」がいる。

ある人の心のなかにそれはあり、そしてそれは現実に現れた。そして現実に現れるものは物質だけに限られない。「人間性の変化」「人生の変化」という形でも、現れうる。

生まれがどうであれ、両親がどうであれ、私たち自身が「◯◯のような人になりたい」「△△ができるようになりたい」「XXのような人生を歩みたい」と「心」で願う。考える。それがすべての始まりである。

「心」にそれが生じる。それによって小さい確率であれ、それが現実世界で形となる可能性が生じる。しかし、私たち自身が最初から「そんなことは無理だろう」「どうせ私は・・・」と「心」で思っているならば。実現の可能性は生じない。

だが私たち自身が「心」の中でその実現を願うなら、それは実現される可能性が生じ始める。それは1%程度の、とても小さな確率かもしれない。

0と1は違う。0はどこまでいっても0のままである。だが1はそこから、10にも30にも、100にも増えていく可能性を秘めているのである。

だから人は、変わりうる

「心」の中に外で生じる「現実」があるとするならば、私たちは自分自身を変えることだってできる。自分の心になかにまず、「私は◯◯という人間になりたいです」という考えを抱く。考えを抱くことによって初めて、「その人間になる」可能性が生じる。

確かに私たちは今すぐ、「なりたい自分」になれるわけではない。望む現実を実現した「最高の自分」になれるわけではない。

「心」にある考えを抱くことは「可能性を生じさせる」ということである。それはそのままでは可能性のまま終わることは十分ありうるが、その考えを「すぐ実現しないから」といって捨てず、大切に持ち続ける。

それによって小さい変化はやがて、大きい変化へとつながっていく。だからこそ0と1は違う。「あのときは、どう考えても無理だと思ってました」ということでさえ、「心」にその実現を信じることによって、実現の可能性が生じ始める。

だから人は変わりうる。「心」のなかに望むままの自分を思い描くことによって、突然変異さえも起こりうる。私たちは「かえるの子はかえる」とは限らないのだ。

最後に

告白する。私自身「かえるの子はかえる」であり、自分ができないことはできないものだと、考えていた。だが考え方を改めた。

その理由については別の然るべき場所、然るべき時期に語りたいのでここでは控えさせていただくが、今は人はどんな生まれであろうと、何を引き継ごうとも、その運命は変わりうるのだと、考え方を改めた。

「それは普通に考えたら、無理だろう」ということでさえ、「私はそれをするのだ」という確固たる意思を持つことによって、意思を持ち続けることによって、実現できることがわかったからこそ、そのことをここで書いておきたかった。

私たちはこの世界に生まれてから、様々な機会に、様々な人に、「あなたは◯◯です」という自分像を植え込まれる。そこで重要なのは「どこで誰に何を言われたのか?」ではない。重要なのは「自分自身がそれを心に受け入れるかどうか?」である。

周りの環境がどうであれ、誰に何を言われたとしても、それを受け入れるかどうかは自分自身である。そして、自分自身が「心」で受け入れたことはやがて、「現実」になる可能性があるのだ。