「もう、これ以上は頑張れない・・・」と夢を挫折寸前のあなたへ

心が折れそうだ・・・

人生で夢を叶える人は何がなんでもあきらめない。最後の最後までやり抜く。

これは一つの真実で、そして、途中で絶対にあきらめないからこそ、夢を叶えて、人生の最高の一瞬を味わうことができる。

しかし「あきらめないこと」こそが、実は一番難しいことだったりする。

夢に向かって努力をする。しかしあと一歩のところ、まさにゴールの直前でリタイアしてしまう。人生にはそんな皮肉がある。

つまり、あともう少し頑張れば状況が激変して何もかも変わっていたかもしれない。夢が実現したかもしれない。

そういうことがしばしばある。

そのことをあなたにお伝えするために、筆者の黒歴史をお伝えしたいと思う。ほんの1ミリでも、あなたの参考になれば幸いである。

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幸運が必ずしも幸運にならないのは

筆者は高校生の頃、硬式テニスに夢中になっていた。

中学の頃に軟式テニスを始め、それで県大会まで出場できたのだが、高校入学時、硬式テニス部の顧問からスカウトされ、硬式テニスを始めた。

朝は朝練のため家を6時30分に出て、7時20分には高校に到着して朝練開始。そして授業後は夜7時までしっかり練習し、それを月曜から金曜日まで繰り返す。

土曜日は午前朝8時から昼の12時30分までか、午後1時から6時までか、みっちり練習がある。

そんな、まさに「部活バカ」と言ってもいい生活をしていた。

そんな練習の日々の結果、1年生ならが個人選に出場できることになり、そこでベスト4にまで進出。

その活躍が他の学校の先生の目に止まり、その地域の代表選考選手に選ばれるようになった。

周りは県大会でもトップの結果を出しているようなすごい選手ばかり。

そんななか、ぽっと出の新人の自分が参加できるようになったことは、とても幸運なことであった。

しかし、これが長い目で見ると、自分にとっての悪運の始まりだった。

不必要なプライドは1ミリも役に立たない

選抜選手に選ばれて以来、部活をますます頑張るようになるのだが、そのなかで、ふと自分の中でおごりというか、慢心のような気持ちが芽生えてきた。

「自分はこのグループなら勝って当然だ。これだけ頑張っているのだから自分は、良い結果が出せて当然だ」

そんな傲慢さが心のなかで芽生え、それが不必要なプライドとなり、自分を縛るようになった。

もちろん、練習は一生懸命参加していた。

しかし、「オレは選抜選手なんだ」という、自分のなかに不必要なプライドが芽生えてしまったのも確かであった。

それは、幸運にお金持ちになってしまったがゆえに、「自分はこんな贅沢な暮らしをするのに相応しい」と勘違いしてしまい、お金を湯水のごとく浪費してしまう人のようなものである。

その傲慢さをいさめるかのように、怪我をしてしまった。怪我をした場所は腰。高校2年生担った頃から、ヘルニアに悩まされるようになった。

そんなとき、とある冬の大会の一回戦、まさかの大敗北を喫してしまった。

そこから部活のコーチの筆者への評価も変わり、団体戦のレギュラーメンバーから控えメンバーに「降格」されてしまった。

これは今思うと、冷静な阻止なのだが、当時の自分としては、「なぜ自分が・・・」という気持ちしか持てなかった。

「あともう少しだけ頑張ることができたなら・・・」という後悔

自分はこれだけ頑張ってきた。実力もあるはずだ。にも関わらず、団体戦のレギュラーから降格されたのはなぜなのか。

こんな気持ちがくすぶり続けコーチと衝突。

「それならやめてやるよ」

とコーチに啖呵を切り、高校3年、最後の大会を目前にして退部。

高校時代、すべてをかけたといってもいい部活生活は、実につまらないカタチで終わってしまった。

今、何か苦しいことがあったとき、目標をあきらめそうになったときは、いつも、このときのことを思い出す。

そして、

「あともう少し辛抱強く頑張っていれば、結果は違っていたかもしれない。最後の大会で、納得のいくカタチで引退できていたかもしれない」

そんなことを、ふと考える。

もしかしたら今、あなたが「心が折れそうになっている」のは、このときの私と似た状況かもしれない。

「もうダメかもしれない」というときこそ、ゴールは案外近くにある!

人生何一つ無駄はない。

筆者のこのときの経験は、長い目でみると、意味がある経験であり、経験すべき必要があった経験のように思う。

というのは、人生で逆風が起こったとき、なぜかいつも、このときのことが頭に浮かんできて、

「あのときは最後の最後であきらめてしまった。お前は同じことを繰り返して良いのか?」

自分に問いかけてくれるからだ。

人生皮肉なのは、こういう、ゴール直前で「もうダメだ・・・」というようなことが、結構起こる。

あともう少しだけ我慢できたら。あともう少しだけ頑張ることができたら。その後の状況は180度変わっていた。

そんなことがよく起こる。

そう、筆者もその後何度も人生で、

「もうダメかもしれない・・・」

「これ以上頑張っても意味がないかもしれない・・・」

というように、夢や目標に心が折れそうな瞬間が何度もあった。

あと「ほんの少し」だけ頑張ればいい

何かをあきらめそうになったとき。「もうダメだ」と全てを投げ出しそうになったとき。

筆者の頭にこのときの経験が頭によぎってきた。そして、もう二度と、同じ失敗を繰り返すまいと心が奮い立った。

そして、限界を感じた状況のすぐ先に、めでたしめでたしが待っていることを実感した。

だから、もしあなたが今何か、人生でどうしても実現したい何かを持っていたとする。そして、それに向かって最大限の努力をして頑張っていたとする。

にも関わらず、状況が思うようにいかず、

「もうダメかもしれない。これ以上頑張っても無意味なら、いさぎよく、あきらめてしまおうか・・・」

と、あなたの心が折れそうになっているなら、ぜひこのことを思い出して欲しい。

そう、もしかしたらあなたは今、ゴール直前にいるかもしれない。あなたに必要なことは、ほんとうに小さなこと。あとほんの少しの我慢と努力かもしれない。

そのことは、本当に強く強調して、あなたにお伝えしたいことである。

最後に

奇跡の前には不吉なことが起こる

「もうこれ以上ないほど最悪だ」という状況こそが実は、運命が好転していく転換点だったりする。

だから「一寸先は闇」という言葉は、実は良い意味でも使うことができる。

そう、今が最悪に上手くいっておらず、努力も何も報われない。これ以上頑張ることの意味を見いだせないときだからこそ、このことをあなたに強く伝えたい。

あなたは今、ゴールの目前にいるかもしれない、ということを。

夢を叶えられる人は結局、あきらめない人である。最後の最後、夢が実現するまで、夢を追い続けられる人である。

あきらめることはいつだってできる。だから、「もうこれ以上は無理かも・・・」と心が折れそうになってしまったときこそ、もうちょっとだけ頑張ってみよう。

もしかしたらそこから間もなく、現実が驚くほど変わるかもしれない。もちろん、そこから上手くいくという保証もない。

でも、あなたがあきらめない限り、いつもどこかで、可能性は残されている。だから、あなたの人生で本当に大切なことを、そう簡単にあきらめないで欲しい。

それはきっと、あなたの人生において、意味があることに違いないはずなのだから。