「自分の人生」と「普通の人生」は両立しない話

夕日を指差す女性

私たちが自分の人生を見失う考え方の一つ。それが「普通の人生」という考え方である。

例えば、大学に行って就職し、結婚し家庭を持ち、マイホームを買ってローンを払い定年退職する。これがいわゆる「普通の人生」と言われてきたものである。

ところが、あなたもこっそり気づいているように、これからの時代、普通は普通ではなくなっていく。

最初に勤めた会社でそのまま定年退職をして老後を迎える人や、結婚しない人はどんどん増えていくし、社会の環境そのものが多様化している。

何より、格差社会が現在進行形で進んでいる現在、「普通の人生」を送ることそれ自体、昔よりも難しくなっている現状がある。

すなわち、「これが普通の人生です」という模範的な生き方は過去のものであり、これからの時代において「普通の人生」をあなたの人生において再現しようとすること自体あまり意味がない。

ではどうすればいいか?自分の人生は自分で決めるしかない、という話である。

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「普通」はいわば模範解答

「○○すれば人として普通」という常識はある意味思考の停止状態であるが、非常に楽な生き方であったと言える。

なぜなら、「○○が正解」という答えが最初から提示されているので、その生き方さえしていれば「自分は普通で安心である」という心の拠り所を見出すことができたからである。

つまり自分の頭で何が正しいのか。どうあるべきか。自分で考える必要がないし、「自分は人と同じように生きているのだ」と安心感を持つことができる。

しかし実際、普通の人生など現実的には砂上の楼閣。あるようでないものである。だからこそ世の中には「あいつの人生は失敗」「あいつは負け組」など他人の人生にあれこれ口をはさむ人も出てくる。

それを真に受けた人のなかには、自分で自分の可能性をシャットダウンしてしまう人もいる。それは不適切で、他人が決めた「普通」に自分の人生を規定される必要はない。

あなたにはあなたの道がある。そしてそれは、あなたしか歩めない道である。あなたが他人を理不尽に傷つけたり、他人の権利を侵害しない限りにおいて、あなたはあなたの人生を自由に生きる権利がある。

そもそも人生は「正解」がない

問題は、あなたの人生をどう生きていくのか?その答えはあなた自身で見つける他ない、というのが実際のところである。

つまり、誰かの意見や社会の風潮といったものではなく、あなた自身が実際の体験において見出した答え。あなたの内側から自然に湧き出てくる答え。それこそが、あなたにとっての正解なのである。

それはもしかしたら、「普通」とはかけ離れているかもしれない。「その道は危険だよ、やめておいた方がいいよ」と親切な誰かが干渉してくるかもしれない。

しかし、あなたが真剣に考えた結果「この道より我を生かす道なし」と確信したら。その道こそあなたにとって進む価値がある道である。信じるべきはあなたの本心である。それこそがあなたにとっての正解である。

人にはそれぞれ、いろんな形の人生がある。にも関わらず、「こんな人生が普通の人生です」と規定されていることそれ自体が、おかしな話である。

なぜなら人はそれぞれスタート地点が違う。つまり持って生まれたものが違う。それなら当然、自分にとって最善の選択から人生を積み重ねていく他ない。

この意味で、「自分は自分、他人は他人」と本当に気づいたとき。本当の自分の人生が始まると言える。

最後に

あなたはおそらく、今これからあなたが進もうとしている道に不安を感じているかもしれない。「本当にこれでいいのか?」と迷いがあるのも確かだろう。

ただ一つ言えるのは、あなたがどの道へ進もうとも、あなたがその道へ進んでみようと思った道があるならば。それは間違いではない、ということである。

確かに、あなたが「この道!」と信じた道を進むことによって、あなたは人生において様々な試練を経験することになるかもしれない。いや、なるだろう。

しかし少なくとも、あなたが「普通の人生」という強迫観念に押しつぶされ、自分なりの生き方を諦めてしまうより、あなたは本音で人生を生きることができる。

そして自分と他人を比べることなく、「あなたにとっての正解」だけを追いかけていくことができる。それはあなたもすでに気づいているように、その先にあなたの人生における「大切な何か」が待っている。

大切なのは長い目で見ることである。どちらを進めばあなたは後悔しないのか?真に問うべき問いは、それである。