なぜその努力は苦しいのか?「する必要がない努力」だから

美しく花開く

理想の人生を実現するためには、努力が必要である。

ただ椅子に座って、「こんな人生になったらいいなぁ・・・」と頭に希望を描くだけでは、理想の人生を生きることはできない。

だからこそ大切なのは、実際に行動を起こして、する必要がある努力を、継続して続けていくことである。

ただし。努力には良い努力と悪い努力がある。ではどうやってそれを見分ければいいか?答えは極めてシンプルだ。「苦しい努力は間違っている」という話である。

正しい努力はワクワクする!

結論から言って、良い努力とは自分にとって正しい方向に一直線に進む努力である。

その過程であなたは、努力を努力と感じずに、ワクワクしながらそれに取り組むことができる。そこには「無理して頑張ってる」感はない。

よく自己啓発の世界では、「ワクワクすることをしなさい」と言われるが、それはすなわち、「努力を努力と感じないでできることをしなさい」と考えれば分かりやすい。

なぜなら、ワクワクしながらできることは、努力していて無理がないし楽しい。だから、結果も出やすい。極めて、シンプルな話である。

間違った努力は苦しいだけ

一方。悪い努力とは、そもそも努力をすることそれ自体、苦痛を伴う。やる気が出ない。していて楽しくない。辛い。苦しい。

そして、最悪なことに、苦しいわりには結果が伴わない。だから、努力することがますます嫌になり、あなたの心にネガティブなイメージを植え付けてしまう。結果、人生は不幸になっていく。

ではなぜ悪い努力をすると、人生は不幸になっていくのか?それは、悪い努力それ自体が、あなたが人生において最初からする必要がない努力だからである。

つまり、あなたの本質は既に知っている。「これを頑張っても自分の人生において意味がない」ということを。

結果が出たこと出なかったことを振り返って

良い努力と悪い努力の違いを今すぐ実感するために大切なのは、今までうまくいったことと、うまくいかなかったことを思い返し、そのとき一体どんな気持ちだったのかを、思い出すことである。

例えば、肉体的に辛い努力をしたとしても、気持ちが前向きでワクワクしているときというのは、結果が出て、充実感を感じることができる。

そして、「私はこれだけ努力しました!」といちいち確認する必要さえない。なぜなら、頑張っていることに夢中で、「私は努力をしています」などと、考えないからである。

一方、「頑張らなきゃ」と自分を励まして無理にする努力をしていたときは、たいてい、満足とは程遠い結果が出ていることに気づく。

そして、気持ちは苦しく、「なぜこんなにも頑張る必要があるのか?」と感じつつ、「努力していること」を意識している。そして結果、苦しいわりには報われないという、理不尽さを実感する。

まとめ

苦しい努力は最初から答えが分かっている。努力することはできるが、辛い。苦しい。そして、結果は最悪である。

なぜならその努力の行く先は、間違った方向へ向かっているからである。努力した先に、望む未来は待っていない。そのことが分かっているから、ネガティブな気持ちを感じるのである。

一方で。本当の正しい努力は、そもそも努力を努力と意識することがない。なぜなら、特に意識をしなくても、自然とそれをしてしまうからである。

そして日々、「あれをしよう」「これをしよう」と、自然体で行動を起こしている。するとなぜか次々と道が開けて、気がつけば「努力は結果を裏切らない」という、ハッピーエンドに到達する。

このように、良い気持ちでできる努力。苦しい努力。同じ努力でも、その先に待っている結末は、大違いである。だから人生根性論はNG。自分を無理やり追い詰める努力をする必要はない。

最後に

人生には良い努力と悪い努力がある。

どうせ頑張るなら、気持ちよくできる努力を選択することである。なぜなら気持ちの良い努力の先には、あなたが期待する未来があり、あなたが進むべき人生が待っているからである。

努力しても辛い。苦しい。それはもう答えが分かっている。人生には限りがある。する必要のない努力に時間を費やすのは時間を無駄にするだけでなく、あなたの心にネガティブな影響をもたらす。

何より、努力するなら報われたい。ハッピーエンドを迎えたい。だからこそ、何に努力をするのかは、絶対に間違えてはいけないのである。