周囲の人は自分を映す鏡。それを「鏡の法則」と言う

鏡に写る自分を見る女性

「自分の周囲のいる人は自分の映す鏡である」

この考え方はとても本質的である。

私たちは自分という視点で世界を理解する。つまり目に見えるもの、感じられるものはすべて、ありのままそこにあるというよりは、自分というフィルターを経由してそこにある。ゆえに人間関係も自分が抱く他者へのイメージが、必然的に現れる。

すなわち「Aさんのここが気になります」と引っかかっている部分は、「Aさん」だけのことではないかもしれない。「Bさんのここはとても素敵だと思います」とポジティブに感じる部分は、「Bさん」だけのことではないかもしれない。

他人という鏡を通じて見えているものは実は、自分も持っている部分かもしれない。こうした視点を持つことで、すべての人間関係は自分が成長していくための気づきとなる。

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はじめに

「Aさんはいい人ですね」「Bさんはとても才能豊かな人ですね」など、人の肯定的な部分を口にする人ほど、その人自身が肯定的な性格の人であったり、素晴らしい才能を持っている人であること。

自己肯定的な人ほど他人の長所を素直に評価することができるという傾向は、決して偶然ではない。

「Cさんがあなたの悪口を言っていましたよ」「Dさんはケチですね」など、人の否定的な部分ばかりを口にする人ほど、実はそれを語っている当人こそがまさにそうであるということ。

自己否定的な人ほど他人のネガティブな部分に過敏に反応してしまうという傾向も、決して偶然ではない。

「人を通じて見えている部分」というのは実はそれを見ている当人が持っているものである。これを「鏡の法則」と言う。「周囲の人」という鏡を通じて自分が見えるからこそ「我以外皆我師也」であり「人の振り見て我が振り直せ」、そして「類は友を呼ぶ」なのだ。

問題は繰り返し起こる。真の原因に気づかない限り

「鏡の法則」とは反応である。「自分の内面にあるものが外面に現れる」という、反応である。それは「外面に現れた結果の根本的な原因が実は内面にある」ということに気づくことにより、私たちの自己成長が促される仕組みである。

例えば世の中にはほんとうに不思議なことに、どの場所にいても、どの組織に所属しても、必ず「この人のどこどこが気になる」「一緒にいて居心地が悪い」という人が一定の割合で現れる。

そうした人との間で何かしらの問題が起こったとき、「こんな人とは一緒にいられません」とそこから去り新天地を求めることはできるし、それがベストな選択となる場合も確かにある。

だが、なぜその人との出会いが与えられたのか?なぜその人と問題が起こったのか?その理由、意味を発見し、学ぼうとしない限り、別の場所で、別の人を通じて、同じ問題が起こる可能性は極めて高い。

「本当の解決策」は気づき、学ぶこと

あなたが自分を軽視しているとき、あなたに対してネガティブな人が現れるのは偶然ではない。あなたが誰かに親切にすれば、誰かがあなたに親切にしてくれることも偶然ではない。

「他の人のあなたに対する態度や行動」は鏡である。自分が内側に持っているものや、外側に発しているものを映す、鏡である。それは気づきである。自分を知るための、そして自分に必要なことを知るための、気づきである。

周囲の人々は鏡であり、自分自身の姿を映す。だからこそこの世界では「類は友を呼ぶ」現象が起こる。自分が幸せであり、親切であり、優しくなるなら、鏡は同じものを誰かを通じて見せてくれる。

現実がそうでないなら、変えたいと思うなら、周囲の人を変えようとするのではなく原因そのものを変える必要がある。本当の原因を変えたとき、外側の現象も自然に変わっていくだろう。

最後に

私たちの人生で、無意味な出会いが与えられることはない。良い人であれ悪い人であれ、「その出会いがあった」ということは、その出会いが起こる必然性があったことを意味している。

想像してみてほしい。世界には億単位の人がいる。生まれも育ちも違う。考え方も価値観も、何もかも違う。そんな人々と、なぜ人生の一時期でも同じ場所で過ごし、同じ空気を吸うことになったのか?それが起こる確率を考えれば、すごいことである。

どうしても気になるあの人と同じ部分を、自分も持っているかもしれない。自分が持つ必要があるものを、あの人は教えてくれているのかもしれない。ある人との衝突によって、自分が改善する必要があるものに気づくきっかけになるかもしれない。

「周囲の人は自分を映す鏡」という視点を持つことで、初めて気づくことがたくさんある。自分自身のこと、変えるべきこと、すべきこと、あるべき姿、より良い未来の可能性について。