人生にはふと、「自分の人生は一体何なのだろう?」と虚しさで硬直してしまうようなときがある。
そんなとき、一体自分の人生は何のためにあって、なぜこのような苦しい人生を送らなければいけないのか、ただただ虚しく、不安になってしまうときがある。
このページではそんなとき一体どう考えればこれからの人生で光を見つけることができるのか?人生で虚しさに立ち尽くしたときに立ち直るための考え方を提案したい。
人生はいろいろあるがいつか必ず、光は見える。なんとかなる。そのことが伝われば幸いである。
はじめに
まず率直に言って、人生は理不尽なことが起こる。それはあなたが人生で最善を尽くしてどのように振る舞ったとしても、実際に起こりうる現実である。
だから「一体私の人生は何だったの?」とショックを受けるような出来事が起こったときにまず大切なのは、自分に原因を求めないことである。
すなわち、「私が○○したせいでこんなことになってしまった。人生はこんなにも虚しいのだ」と自分を自責しないことがまず復活の第一歩である。
もちろん現実的に、あなた自身の過去の行動によって今の現状を招いた可能性はある。
しかし、ショックを受けて虚しさの海に飲まれそうになっているとき。自分を責めることは効果がないどころかむしろ逆効果なのでやめておいた方がいい。
それはもう少し、気持ちが落ち着いたとき。冷静にその出来事について振り返る余裕ができたときにすればいいことである。だから今は自愛するときである。自分を何より、大切にすることである。
過去の原因を探り反省するのは、気持ちが安定してからで十分である。
起こったことは起こったこと
人生で本当に辛いことが起こったとき、人は涙を流すというより、感情が死んでしまうという。つまり何も考えられない。感じない。そんな、硬直状態になってしまうという。
それは多分、自分の心を守るための自衛システムなのだと思う。つまり感じないこと。考えないことによって、自分にそれ以上のダメージを負わないようになっているのである。
だから、ショックでどうにも動けないとき。ただただ不安で虚しいときは、それでいい。その不安な気持ち。虚しい気持ちを否定しないことである。今の自分の状態を、ありのまま受け入れるのである。
復活はそこから始まる。
ポイントは「自分で決断しない」
もう一つ大切なのは、自分で大きな決断を下さないことである。
なぜなら感情的に大きく揺れているとき。ダウンしているとき。思いつく決断はたいてい、更なる不幸を招く可能性が高いからである。
だから自分でどうしたいとか、こうなりたいとか、今はそういうことを考えなくていい。日常の流れに任せ、事態がどのように進んでいくのか?静観して、見守ることが大切である。
そしてここからが大切なのだが、流れに任せてなった結果を受け入れることである。それはあなたにとって不都合なことかもしれない。更に惨めな気持ちになるかもしれない。
しかしそれが「そうなった」という事実は朗報である。なぜなら長い目で見れば、それがあなたの人生にとってはそうなることが正解だから。
最後に
人生はときに、なぜこのような厳しい現実がやって来るのか?ショックで動けず、そして人生そのものが虚しく、無意味なもののように思えるような現実が突きつけられる。
それはあまりにも厳しすぎて、「だからあなたはもっと頑張るべきです」といったような「べき論」は役に立つどころか、むしろ有害である。
どうにもならないときはもう、どうにもならない。それは仕方がないことである。しかし光は必ず見える。状況は必ず、変わる。今は「待つとき」と考えて、自分を大切にすることである。
もし少しでも気持ちに余裕があるならば、今できることから始めてみるのもいい。もしかしたらそこから、あなたの新しい人生が開ける可能性がある。
大丈夫、人生はうまくいく。すべての出来事はただの「過程」なのだから。