「もしもお金から完全に自由になったなら」と想像してみる。そこから初めて気づくこと

自由な女性

突然だが、5分間程度でかまわないのでこんな空想をしてみてほしい。

あなたには政府からでも慈善家からでも何でもいいが、突然5億円のお金が支給される。あなたに奨学金や住宅ローン、カードローンなどの債務があればそれらはすべてチャラになる。その上で、あなたには毎月30万円の生活費が無条件かつ永久に支給される。

もしそうなったら、あなたはどうするだろう?毎日、「何をして」一日を送るだろう?どんな人と付き合っているだろう?どんな気持ちで、一日を終えているだろう?楽しい空想として、具体的に想像してみてほしい。

ではなぜそんな空想をするのか?「本当の自分がしたいこと」や「本音の自分が在りたい姿」に気づくためである。

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はじめに

改めて指摘する必要がないことかもしれないが、私たち一般人の人生は想像以上にお金に縛られている。

そもそも小学校と中学校に行って勉強することは義務教育の一環だが、通うことが義務ではない高校や大学に行き学歴を得ることを半ば「当然」のように考える人は多い。なぜか。そのほうが「条件が良い」仕事を得やすいからである。

中卒よりも高卒、高卒よりも大卒、社会の仕組みとして学歴があるほうが「雇われる」仕事として好条件、すなわちより収入が高い仕事を得やすい傾向があることは確かである。

学校を出て学歴を得て、「稼げる」「安定した」仕事を得たら何をするか。生活を維持した上でそのレベルを高めていく。結婚する。家を買う。車を買う。子どもの学歴を買う。

仕事を得て家や車、その他の物質を得て子どもの教育費を支払い、「生活水準」を高めつつ考えることは老後の「安心した生活」である。

このようにお金は私たちの人生のあらゆる場面において、価値判断及び行動の基準として延々と干渉してくる。それは仕組みと言ってもいい。

妄想の先に見える大切な答え

お金は現在における現実である。だからこそ現実を優先することは生きていくために仕方がない。だがもしも、お金という存在が私たちの人生に介在しない世界が生まれたとしたらどうだろう?

あなた、そしてあなたの家族が安全で快適に生活するためのお金は無条件で保証される。ローンや借金があってもそれらはリセットされチャラになり、完全に身軽である。

それだけではない。臨時に支給された5億円によってあなたは基本的にあなたの欲求を満たす物質的な品々を購入したり、受けたいサービスを自由に利用することができる。ここにあなたの人生はお金による制限から完全に開放される。

そのときあなたは何を手に入れ何をし、どんな生活を選ぶのか?お金があなたの人生を縛らないのであれば、あなたはどんな人としてその人生で何をするのか?

こうした問いは完全な空想である。だが一度は真剣に考える価値がある空想である。なぜなら先に述べたとおり、それらに対する答えにあなたの人生における本音が見えるからである。

本音とは心の声である。そこにあなたにとって大切な、「この世ですべき何か」が示唆される。その空想は現実とは違う妄想だとしても、それは自分の本音に近づき、自分にとって自然な生き方へ通じる道を見出す、価値ある空想である。

「お金に縛られない人生」という可能性

お金のために仕事をする。お金を基準に人生を考える。それは2024年現在における、そして過去から続いた現実である。

だが「生活のために仕事に行かなければならない」という現実が「生活のために仕事に行かなくてもいい」となったとき、あなたは本当にその仕事に行くだろうか?

「ローンで購入した家のローンがチャラになり家賃がかからない」状況になったとき、あなたの経済的な負担は激減する。あなたはもはや、「毎月の支払い」のことに頭を悩まさず、欲しい商品を今すぐ購入することができる。そのときあなたは何をするだろうか?

「それでも今は、お金のために仕事に行かなくてはいけないだろう」という現実のなかで、このような空想をすることはくだらないかもしれない。だが一度は真剣に、考える価値がある空想である。

もしお金は一切関係ない。借金があってもすべてチャラ。あなたの生活は安全かつ快適に保証される。あなたには5億円の臨時給付があり、その上で毎月30万円の生活保障金が支給される。

その現実が訪れたとしたら、あなたは何をするだろう?誰と時間を過ごすだろう?どんな人になっているだろう?何をすることがあなたの人生で最もふさわしいと、考えるだろう?お金に縛られないあなたらしい人生があるとすれば、どんな人生だろう?

最後に

お金は既存の社会の枠組みを成す「仕組み」である。ガチガチに作られた仕組みから妄想によって自分を切り離す。その先に初めて、見えてくるものがある。

個人的な空想だが、これからの社会はより自分で考え自分で行動できる肉体的・精神的な「独立性(たくましさ)」を備えた人々、かつての我々の祖先たちが自然に備えていた資質や価値観が再び注目を浴び、新しい時代が訪れるだろうと考えている。

主軸となる行動原理や人生観はお金ではなく「価値観」であり、「共同体」であり、「人としての在り方」である。「お金ではないもの」によって人々がつながりコミュニティが形成される「共助共生の社会」が訪れるかもしれないと、考えている。

時代が変わるとき真に問われるのは学歴や経歴、財産といった事柄ではなく人間力それ自体である。既存の仕組みにどれだけ守られている人でさえ、その仕組みが壊れればただの人である。その仕組みの恩恵を受けそれに依存している人ほど影響は大きいだろう。

ただ一つ言えるのは私たちの現実、そして常識は変わりうる、ということである。変化の先には新しい時代が訪れる。その時代は一時的にはどうであれ、最終的には今よりも素晴らしい時代になるだろうと、信じている。