ノー・ペイン、ノー・ゲイン。painには、苦痛と努力の意味がある。努力とは血と汗を伴うものだ。それによってあがなわれたものは、自分の体の一部のように、いとおしいにちがいない。苦しみ抜いて得られたものにだけ、価値はあるのだ。
見城徹
やることなすこと上手くいく。
人生で悲しいことは一切起きず、毎日楽しくおかしく笑っていられる。そんな人生はとても楽かもしれない。
しかしそれはきっと、最悪に退屈な人生に違いない。
苦しみがあるからこそ人生は
逆説的かもしれないが、私たちは人生で苦しめば苦しむほど、そこから得られるものは甚大である。
そう、私たちは苦しみ傷つき、そして悩むからこそ、幸せが実感できる。そして、苦しみの中から、大切な何かを手に入れることができる。
そして、経験した苦しみが大きければ大きいほど。その経験から手に入れることができるものは、比例して大きくなっていく。
つまり、あなたが本当に価値がある何か。大切な何かを手に入れようとするのであれば。人生で痛みを味わうことは避けられない試練である。
苦しみもがき、そしてあがく。その先にこそ、あなたにとって本当に価値がある、大切な何かが待っているのである。
だからノー・ペイン、ノー・ゲイン
痛みがあるから成長できる。これは綺麗事のように思えるかもしれないが、実際にそうだからそうとしか言いようがない。
例えば、あなたが人生のどん底を味わうことになったとき。あなたはその不運を呪い、なぜ自分がこのような目に遭うのかを、理不尽に感じるだろう。
しかし苦しみがそこにあるからこそ、その苦しみに抗う知恵を求めるようになる。そして、苦しみを克服するためのあらゆる努力をすることによって、人生は変わっていく。
そしてその人生は、どん底を味わう前よりはるかに素晴らしい人生になっている。だからビフォア・アフターは劇的である。まさに、別人として「生まれ変わる」のである。
最後に
安穏な生活に苦痛はない。ただし、そこから何かを得ることはできない。
だから、苦労知らずの人生は苦しみだらけの人生より、ずっとずっと、不幸である。いや、不幸というより、損である。
結局人生は苦しむだけ、それ相応のプレゼントを与えてくれる。それは苦しみを克服する過程に与えられる宝である。
この意味で痛みなくして成長なし。あなたが今苦しみを実感しているまさにそのとき。あなたはあらゆる面で、成長しているのである。
そこであなたがつかんだものは、今後あなたの人生を、最高に輝かす武器となるだろう。
出典
『憂鬱でなければ、仕事じゃない』