
自分の人生を振り返っていると、つくづく思うことがある。それは、人生は本当に想定外の連続だ、ということだ。
10代20代の頃、私は自分はこう在りたい、こうなりたいという目標を持って生きてきた。ところがふたを開けてみると、人生は自分が考えていたのとは全然違うものだった。
別にそれは悪い意味ではなくて、仕事もライフスタイルも、決して完璧ではないけれど、概ね満足している。この意味で私は本当にツイてる人間だと思う。
一方で、住む場所も仕事もライフスタイルも、まったく考えていなかったものとなったことに不思議さというか、驚きを感じている。
そして、「想定外の人生」は、偶然としか言えないものによって導かれたように思えるのだ。
偶然が人生を作る
思えば、100%自分の意志とは関係がない「何かの偶然」によって自分の人生がある。
私が自分の仕事に出会ったのはたまたま。この記事を書いた当時、私は北海道の札幌で暮らしていたが、札幌で暮らすことになった理由もふとした偶然がきっかけだ。
それは完全に自分で意図したわけでなく「偶然のきっかけ」によってその暮らしをすることになった。私はある意味で、ただ流れに乗っただけだ。まるで、見えない大きな流れが、自分をしかるべき場所に運んでくれたかのように。
このことを考えると、もしかしたら人生は、100%自分の意志によって作られるのではなく「ある程度」は決まっているというか、予定された人生があるのではないか?そんな感慨を覚えるのだ。
就いてる仕事も、暮らしている場所も、全ては偶然によって導かれてきたけれど、そうなるのが当然というか、とても自然なことのように感じている。
「運命」を「受容」し生きる力に変える
「運命」というといろいろ胡散臭いように感じてしまうが、人生を振り返ると、確かに理屈では説明できない何かがあって、なるべくしてなった、そんな人生があるのだと思う。
大切なのは、この流れに抗うことにエネルギーを浪費するのではなく、「今の場所にある意味」を見つけ、エネルギーを建設的に使うことなのだと思う。
日々偶然に起こることが、実は意味があって、その偶然を追っていくことによって、私たちはしかるべき場所、しかるべき道に導かれていく。
もしかしたらその場所は、期待していた場所とは違う場所なのかもしれない。人はなりたい自分になれないかもしれない。生きたい人生を歩むことができないかもしれない。
でも、結果がどうであれ、今の自分に、今のありのままの人生に、実はそこに大切な意味があるのではないか。必要があるからこそ、経験すべきことを経験しているのではないか。
なぜなら、その経験こそが、自分だけの「生き方」を形作っていくからだ。
足元を見つめ直すということ
人生、無理なことは無理で、思い通りにならないことが多すぎる。
どんなに頑張っても、仲良くなれない人とは仲良くなれないし、縁がない環境からはすぐ追い出されてしまう。
でも長い目で見れば、それはそれでいいのかもしれない。必要がない、だから縁がない。もしかしたら、それだけのことなのだ。
ということは、今手にしているもの、人生で関係している諸々のこと(仕事とか人間関係とか)は、人生にとって、とても大切なものなのかもしれない。目の前の「縁」こそが、私たちを最も深く成長させるカギなのかもしれない。
だからこそ、「青い芝生」を見つめてないものねだりをするより、まずは自分の人生、足元から見つめ直してみる。今あるもの、縁あるものを大切にしていく。
それによって人生が極まっていき、「自分の生き方」が見つかるのではないか。そんなことを、深く感じているが、あなたはどう思うだろうか?
更に気づきを深めたい方におすすめ



