人生報われないものは報われない。でもだからと言って

窓辺で考え事

人生、どうしようもならないことは何をどう頑張ってもどうにもならない。

努力がすべて報われるなんてウソだし、努力しても何をしても、どうしても手に入らないものだってある。

つまり人生とは、自らの努力で100%意図的に作り上げられる確実性のあるものではなく、不確実性に満ちたものである。

人生一寸先は闇。だからこそ意味がある

しかし、だからといって、人生に自分の意図を持つことが、無意味なわけではない。

自分はこの道に進みたい。こんな人生を送りたい。そう思っていたとしても、自分の思いどおりにはならないのが人生なのだが、大切なのは結果ではなくプロセスである。

かりに、自分の思いどおりの生き方ができなかったとしても。失敗続きで絶望したとしても。人生においてしてきたことは、いつかどこかで、必ず意味を成す。

その結果、今ある自分という存在がすべて、結果オーライになるときがやって来る。

それは、自分が考えていた自分の人生とは違うものかもしれない。しかし、それこそが結局は、自分にとって最善の結果になる。

だから人生は面白い。

完璧な人生は学びが少ない

人生が思いどおりにならなくても、それはそれで問題ない。努力は報われないかもしれないが、だからといって、人生がダメだとか、そういう話では決してない。

行きたい学校に行けないこと。やりたい仕事ができないこと。愛する人に愛されないこと。夢に描いた思い通りの自分になれないこと。

人生ではいろんな失望がたくさん待っている。それは確かに、否定できない現実である。

しかし、その失望すら実は、長い人生で大きな意味を持っている。そう、「人生で失望したことがある」という、貴重な学びである。

「人生に絶望した」という財産

人生何もかもうまくいっている。今すべて完璧である。

そんな状態は、思っていたほど楽しくない。幸せも慣れすぎていると、やがて幸せが幸せでなくなってしまう。

しかし、人生で失望や無念を経験しているなら話は別だ。

あの苦しみがあるからこそ。あの絶望があったからこそ。人生は光り輝く。ほんの小さなことに感謝できる。ささやかなことに、幸せを見出すことができる。

だから人生は思い通りにならなくてもいい。なりたい自分になれなくても。理想の人生を生きられなくても。

今、生きている。それだけで実は、十分なことなのだ。