人生は遅かれ早かれ好転する。その上で大切なこと

運命の輪

10代~20代の頃、「人生はなんて不平等なんだろう!」と憤慨していた時期があった。

ところが、その後人生で様々な経験をするうち、それが間違いであることに気づき始めた。

というのは、人生の途中で様々な困難が訪れたとしてもその困難は決して無意味ではなく、自分の人生を見捨てずに今現時点での最善を積み重ねていくことによって、最終的にはそれ相応の結果を得ることができることに気がついたからだ。

「人生は帳尻が合う」

この言葉はまさに真実だと感じている。

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プラスとマイナスは最終的にイコールになる

もちろん、人生には不運が訪れやすい時期ある。短期的に見れば、それはただの理不尽でしかないように思える出来事が多発するタイミングがある。

真面目で誠実に生きていたとしても、「なぜこんな苦難を味わうのだろうか?」と不思議に思うくらい、理不尽な目に遭うのも確かだ。

しかし長い目で見れば必ず人生は帳尻が合う。人生の前半部にマイナスが続く人はやがて訪れる人生の後半部、それまでのマイナスに応じたプラスを受け取る。

一方、いくら人生の前半部にプラスばかり得ることができたとしても、そこには必ずマイナスの種子が潜んでいる。恵まれた人生に酔いしれて謙虚さを忘れていればやがて、自分で撒いた種を刈り取ることになる。

悪は本当に栄えるのか?

世の中を見渡すと一見、「悪が栄えるのが世の常」という印象があるが、最終的には全てはあるべきところに正される。

悪いことをして何かを手に入れた人は、本人以外誰も知らないところで、それ相応の重い代償を支払っているものである。得すぎた人は別のどこかで、得すぎた代償を支払わされる。

たしかに世の中は不公平に思えるかもしれない。人生は公平である。「自分の人生はやがて良くなる」と信じ、現実で起こることから学び、現時点で可能な最善の行動を積み重ねていくことによって、人生は落ち着くところに落ち着いていく。

だから今一生懸命生きているにも関わらず不運が続くあなたには絶対このことを知って欲しい。明けない夜が来ることはない、ということを。

最後に

自分の人生と人の人生、それを表面だけ見比べれば、不公平な現実を指摘することは容易かもしれない。

が、それをしてあまり意味がない。「私の人生とあなたの人生を変えてください」と思えるような人の人生に成り代わった瞬間、あなたは瞬時に、目に見えている部分だけに憧れることの虚しさを実感するだろう。

結局私たちに問われているのは、自分の人生と向き合うことである。困難がたくさんあるかもしれない。でももし、その経験に意味があるとしたら?

人生、どんな経験であれ無駄はない。何が起ころうとも自分の人生を見捨てないこと。そして今現時点で可能な、最善を積み重ねていくことである。すると人生は遅かれ早かれ、好転するのだ。