禍福は糾える縄の如し。起こったことに「良い」「悪い」を決めつけてはいけない理由

運命の光を浴びる

私たちは生まれたこの瞬間、家柄や容姿、能力といったものを、「決められて」生きていく。だから手に入れることができるものは手に入れることはできないし、できないことをできるようにはならない。

「人は生まれながらにして平等である」という言葉は、理念として尊重されるべき概念だが、実際の現実とは著しく乖離していることを、あなたも日々感じているかもしれない。

とはいえ私は、「だから人生はつまらないです」と言いたいわけではない。それが起こった時点では「運がなかった」と思ったことでさえ、実は「運が良かった」ことに変わる現実があるのである。

この意味で、「禍福は糾える縄の如し」という言葉は、人生で常に頭に入れておきたい言葉の一つである。

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人生は不幸も幸福も起こる。本当の問題は

繰り返し当メディア『人生の気づき.com』でお伝えしていることだが、人生には完全なマイナスもなければ、完全なプラスもない。

「どうして私の人生でこのような出来事が起こるのですか?」と激高したくなる理不尽な出来事は、それが起こった時点ではマイナスかもしれない。

しかし大切なのは「その結果こうなりました」という顛末である。

そして人生では、マイナスに思える出来事があったからこそ、その後プラスが約束されているという顛末が頻繁に起こる。「幸せは不幸な顔をしてやって来る」など、いろんなたとえはあるが、それはまさに真実なのである。

だから必要な期間、「耐える」価値があるのである。

渡る世間に鬼ばかりかもしれない。人生は辛いことが起こるかもしれない。でもそれは決して、理不尽なだけの話ではないのである。

問題は心的態度

ただし忘れてはいけないのは、自分自身の心的態度である。

「心的態度?そんなものは関係ないだろ」とあなたは思うかもしれないが、もし人生を決定的に分ける微差力があるとすれば、まさに心的態度がそれにあたる。

なぜ同じような出来事が人生で起こったとき、人によって反応が違うのか?それこそがまさに、心的態度の違いである。

一見マイナスの出来事が起こったとき、「だからどうせ人生は~」とひねくれた態度を取っていれば、そこから更に事態は悪くなっていく。

更にもう一点、心的態度が悪いとき、周囲にも類似の人間を引き寄せ、ますます「ひねくれる」状況に陥りやすいことを付け加えておく。

しかし、「これは自分の人生で必要なことだ」と、積極的とまでは言わないまでも、その境遇を前向きに乗り越えようとする人には、それは幸運の呼び声となるだろう。

それは良いことかもしれないし悪いことかもしれない

別にあなたは、人生何でもかんでもポジティブにとらえる必要はない。ときに落ち込み、怒り、悲しんでもいい。ただ、自分で自分を追い詰めるような考え方はやめたほうがいい。

一見マイナスにしか見えない出来事が起こったとしても、その後の顛末がどうなるか、それは本当に分からない。

「なぜこんな理不尽すぎる現実が起こるのですか?」と人生を恨みたくなる瞬間があったとしても、実は長い目見れば、それが起こったことがむしろ、プラスでしかなかったことが分かる。

だから何か起こったときはそれが良いとか悪いとか、プラスとかマイナスとか、ラベルを貼ることをやめるのである。

失業。離婚。病気。「それは悪いことでしょ」と考えたくなるようなことでも、まずはラベルを貼ることをやめよう。重要なのは、「それが起こった結果」あなたがどうなったか、ということなのだから。

最後に

「禍福は糾える縄の如し」

もし、これからの時代を幸せに生きていける人の共通の考え方があるとすれば、この言葉がまさにそれに当たるだろう。

変わらないことは何一つない時代のなかで、変化を拒むわけにはいかない。拒んだとしても、強制的に変化を強要されるのがこれからの時代である。

だからこそ忘れてはいけないのは、変化が起こるからこそ、「想定外の自分」と出会える事実である。「予想外の運命」と邂逅する現実である。

繰り返す。「禍福は糾える縄の如し」という言葉を、人生で常に頭に入れておこう。長い目で、考えよう。