「今日は本当に楽しかった」
心からそう思える日が多ければ多いほど、人生は楽しいものになる。
そう単純に考えれば、人生はそれほど難しくはない。
月曜日の憂鬱
朝5時前に起きて、6時には仕事に行く。
仕事が終わるのは夜7時過ぎ、家に帰れるのは9時以降。家に帰る頃にはクタクタで、寝るためだけに帰る。
週末が来るのを楽しみに金曜日まで頑張るが、土曜日は疲れて家で寝ているだけ。日曜日は夕方から憂鬱になって、月曜日の朝は本当にしんどい。
「仕事に行きたくない・・・」
「人生、つまんないなぁ・・・」
口からはため息ばかり。もしかしたら、あなたもそんな暮らしをしている人の一人かもしれない。
そして、何かがおかしい、人生こんなものじゃないと思いながら、ただ息苦しくて無感覚な人生に悩んでいるのかもしれない。
人生を縛るもの
なぜ人生がつまらなくて、退屈で、厳しくて、窮屈なのか?その原因の一つが「~しなければならない」という考え方だ。
「~しなければならない」とは制約である。制約がたくさんあればあるほど、人生が制限されてつまらなくなっていく。
好きな趣味。好きな時間の過ごし方etc・・・。
たくさんの「~しなければならない」をやっていると、自分のしたいことを犠牲にしてしまい、何が楽しいのか、その感覚がどんどん失われてしまう。
もちろん、最低限しなければならないことはあるかもしれない。
しかし、今を犠牲にして、自分の興味と関心を犠牲にした日々の在り方は、人生をただ生きるための無機質なものに変えてしまう危険がある。
人生を楽しむために
人生とは、1日1日の積み重ねだ。
「今日は楽しかった!」
「明日はどんな楽しいことがあるんだろう?」
1日1日の喜びが、素晴らしい人生という結果につながっていく。
つまり、人生を楽しむこととは、「今日」という1日を充実して過ごすことに他ならない。今日を楽しむこと、それを続けていくことことこそが、人生を楽しむ秘訣なのだ。
そして、今日を楽しむために、今背負っている「~しなければならない」という考え方から、少しづつ自由になっていく必要がある。
「~しなければならない」に縛られて、世間の目や本当の自分を隠した生き方は、どこかで歪みを引き起こす。もしかしたら、人生のつまらなさ、窮屈さは、
「自由に生きたい!」
「もっと別のよい生き方がある!」
という心の叫びなのかもしれない。
人生を楽しむためには、このような心の声にじっと耳を澄ます必要があることを示している。
しなくていいことをやめる
当たり前だが、人生の時間は限られている。
「自分」という人生はたったの一度きりであり、したいことをしないで、人の言いなりに生きていることは、貴重な「自分の人生」という体験を失うことになる。
だから、多少人生自由に振る舞っても、罰は当たらない。
したいことはやっていいのだ。そして、本当に大切なこととそうでないことを区別して、優先順位をつける。
不要なことはやらなくてもよいし、我慢する必要のないことは我慢しなくていい。自分に合わない職場で我慢し続ける必要もない。
仕事がつまらなければ、人生は生き地獄に等しいものになる。
人の目や収入、社会的評判などをヨコに置いて、自分の欲求に素直になってみる。楽しいと思うこと、ワクワクすること。心が満たされることを追求してみる。
1日の中で、そのような時間が増えれば増えるほど、人生をもっと楽しめるようになる。そして、人生の楽しさ、プラスの側面に気がつく。
つまりはもっと、人生肩の力を抜いていい。楽しいことが多くてもいい。一度きりの人生、自分を不幸にする必要はどこにもないのだから。