今そこにある現実がどうであれ、私たちは「泥の中でも咲く花」になれる。

窓の外を見つめる

望まぬ運命が不幸とはかぎりませぬ。望みすぎて不幸になった者たちを、多く見て参りました。得たもののかわりに何を失ったのかも分からずに、ずっと欲に振り回され。私は、泥の中でも咲く花になりとうございます。

平時子

世の中にはいろんな人生がある。

「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」と歌ってしまうような恵まれ過ぎた人生もあれば、「一体私は何のために・・・」と悩みや迷いがつきまとう日々を送る人生もある。

ここで、「恵まれた人生は幸せで、恵まれていない人生は不幸です」という話なら分かりやすいかもしれないが、実際の人生はそんな単純にはできてはいない。

恵まれた結果不幸になる人生もあるし、むしろ恵まれなかったからこそ幸せをつかむ人生もある。どのような人生であれ、今すぐ「結論」を下すのは早計である。

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はじめに

自分の人生に迷わないために大切なこと。それは、1年や2年、短期で自分の人生を見つめるのではなく、5年10年、長い目で人生を見つめることである。

たとえば、ある1年があなたにとって、とてつもなく厳しい、試練のような1年だったとする。そのときあなたは失敗や挫折、不運など、「生きることは、なんて苦しいのだろうう?」と悩むような日々を経験し、生きていくことに絶望を感じるかもしれない。

「1年」や「2年」という短い期間の中なら、それらの経験は、ただのマイナスのようにしか見えないかもしれない。経験しなくて済むなら、しないほうがいいと感じるかもしれない。

出来事の本当の結末

だが、人生が最終的にどうなるかはわからない。

「今年はほんとうに大変で、もうダメかもしれないと覚悟しました」という経験を味わうことが、実は5年後10年後、「人生は不思議だ。生きていてよかった!」という幸せな現実へ転調することが、起こる。

一定の期間を経たのち、「あのとき、あの出来事があって、ほんとうに辛い思いをしたからこそ、今の私はこんなにも幸せです」という現実を実感するのは決して偶然ではない。

長い目で人生を見ようとするならば、今現在の幸福や不幸といった出来事は、あくまで「今現在」の事象でしかないのである。

「良くなる前に悪くなる」意味

人生ではしばしば、「○○という出来事の結果私の人生は危機を迎えています」ということが起こり、人によって強弱はあれども、良い時期や悪い時期が入れ代わり立ち代わり、訪れる。

失業。病気。大切な人との別れ。それらの出来事を一つ一つ見て、「これは不幸です」と考えることはたやすい。そして人生の一時期、辛い出来事が「重なる」時期は実際に、ある。

だがそれがその先、あなたの人生でどのような影響、意味をもたらすかはわからない。「奇跡の前には不吉なことが起こる」という言葉のとおり、悪いことが続いたあとは一息つける時期が訪れる。むしろ、悪いことが「原因」となり人生が好転する。

最後に

「私の人生は○○です」

その結論は、最後の最後までわからない。私たちが今生きている人生と、そして今そこにある現実は人生という旅路の一部である。それはゴールへ到達するまでの過程であり、そしてその過程の中にこそ、生きるために必要な何かを経験することができる。

今が良くても明日どうなるかはわからない。今が悪くても明日どうなるかはわからない。今がどうであれ大切なのは、今このときを生きることである。その積み重ねのなかで、良いときもあれば悪いときもある。

今そこにある現実が、これ以上ないほど厳しいものだったとしても、「泥の中でも咲く花」になろうとすることはできる。私たちは、今このとき、目の前の現実がどうであれ、今この瞬間どう生きるか?その「態度」を、自ら選ぶことができる。

結局それが、最も重要なことなのだ。

出典

TVアニメ『平家物語』7話