自分の人生は自分で決める。それは結果的に

幸せのシャボン玉

他人から見て、その道がいかに下らないにせよ、「自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば」、人は、要らぬ劣等感や優越感に囚われることはありません。

自意識ではなく自分自身の必然に沿った歩幅を信頼することさえできれば、等身大の自分に「容易に打ち壊されない自信」を見出すことができるのです。

そして、その自信があればこそ、私たちは、私たちを取り巻く他者との間に適切な距離を見出しつつようやく自己を語ることができるのです。

浜崎洋介(『ぼんやりとした不安の近代日本』より)

「幸せな人生」は人それぞれである。

だがここであえて、幸せな人生を、「人生いろいろありますが、私は自分の人生を受け入れることができます」という「自分が納得できる人生」と定義するなら、それを実現するための重要なポイントが一つある。

それは、「自分で決めた」という自覚である。

はじめに

自分の人生を定義し、自分の人生の意味を自覚できる存在。それは自分において他にいない。

いくら他の誰かや社会が、「人生は◯◯です」と評価したところで、あなたの人生はあなたの人生。結局のところ、「これが私の人生です」と評価し、自覚できるのは、自分自身をおいて他にはいない。

なぜなら、自分の人生を生きる当事者たり得るのは自分だけだからである。最初から最後まで、あなたの人生に登場し続けるのはあなただけ。だからこそ必要なのである。「これがこそが私の人生なのです」という、自覚を持つことが。

だから「自分は自分」でOK。

自分の人生を自覚する上で最も重要なこと。それは、他者との比較ではなく、自分自身の意志的な選択によって築き上げられる「これが私の人生なのです」という人生観を持つことである。

言うまでもないことだが、私たちは生まれた段階で、それぞれ固有の条件、環境が用意されている。比較というのは同じ条件が揃ってこそ意味を成す。

人生という、生まれた段階で何もかもが違うものを比べることはそもそも意味がない。むしろ、違うからこそ私たちはそれぞれ、「自分の人生を生きる」という課題に向き合うことになる。

だから、他の人や社会の基準はそれはそれ。尊重をする必要はあるが、それが100%正しいものであると、自己洗脳する必要はない。

自分の人生に「当事者意識」を持つ

「これがあなたの人生です」

人、社会、誰でもいいが、自分以外の誰かが考えた人生を歩んでいるとき、あなたにはつねに、「これでいいのか?」という、漠然とした「納得がいかない」気持ちに苛まれ続ける。

しかし、あなたが、「これこそが自分の生き方なのだ」という、自分で考え、責任を持って行動する人生を送るとき、それが良き結果になれ悪い結果になれ、あなたには「これで良かった」という、納得感を持つことができる。

なぜならそれは、自分以外の第三者基準ではなく、あなた自身が自分で決め、自分で人生の責任を引き受けているからである。

つまるところ、あなた自身が自分の人生に対して「当事者意識」を持つことができるかできないか。結局重要なのは、その一点なのである。自分で考え、責任を持って行動する人生を送るということはまさに、自分の人生に当事者意識を持つことなのである。

最後に

誰がどういうと、思った人生と違ったものになったとしても、「私は自分で選択し、自分で決めた人生を生きてきました」と納得できる人は、人生に後悔しない。

しかし、自分の人生に対し、過剰に他者の介入を許し、自分自身で決めるのではなく誰かに「おまかせ」し続けていれば、それが客観的にどんな状態の人生であろうとつねに、「私の人生はこれで良かったのか?」という、漠然とした不安がつきまとう。

人生は結果ではない。どう考えどう行動したか?その過程それ自体である。