人生はそもそも試練が訪れる。試練が訪れることによって

ゆっくりしようぜ

「わかるのは、生きている次の試練がくるんだよ。ビーチに豪邸を建てたとたん、その豪邸が津波で流されるとかね」

「でも考えてみれば、一生安泰だったら、天国と同じだから、生きている価値がないのかもしれませんね」

神田昌典

人生はいつ、どこで、突然どうなるかわからない。

「もう私の人生はおしまいです」と絶望した次の日。突如状況が一変するようなチャンス、出来事が外からやって来ることは、実際の現実として起こりうる。

一方。「ほんとうに俺はよくやった。これで人生めでたしめでたしだ」と安心した瞬間。「まさか!」としか思えない、想定外のアクシデントが起こり、今まで築き上げてきたものが一瞬で崩れ去ることも、実際の現実として起こりうる。

結局、私たちがこの世界で存在し続けている間、自らのコントロールが及ばない出来事によって振り回されてしまうものらしい。だが、だからこそこの世界に存在する意味があるとも言える。

はじめに

私たちは期待する。そして考える。この世に生まれ物事は思い通り。欲求が満たされ、ポジティブな出来事だけ経験できる人生が幸せな人生である、と。

問題は起こらない。何もかも、あなたが「考えたとおり」に現実は進んでいく。あなたが希望すれば、欲しいものはすべて手に入る。確かに人生の一部分、そんな人生を体験することは一つの学びになるかもしれない。

だが、人生が延々と問題が起こらないパーフェクトワールドのようなものであるなら。「良いこと」しか起こらない人生であるならば。1年生きようが50年生きようが、本質的な違いはない。

試練が訪れるそもそもの意味

だが実際、人生では定期的に試練が起こり続ける。「○○すればずっと安泰!」ということはない。どれだけ問題を先回りして解決策を準備をしても。起こることは、突如として起こる。

私たちは、それに振り回される。様々な感情のうねりを味わう。そしてその経験から学び、人生が続いていく。すなわち私たちの人生は、試練が起こることによって、私たちがそれぞれ、この与えられた人生で必要な何かに、気付かされるようになっている。

だから問題のない人生は快適かもしれないが、生きる意味を見失う。「何もかも満たされているはずの人」が心の問題を抱えている現象はよく知られているが、それは決して偶然ではない。

最後に

結局大切なのは、生きることそれ自体なのだと、強く感じる。

夢を実現したとか目標を達成したとか、ほしいものを手に入れたとか、それはそれで素晴らしい経験だが、それは状態ではない。その喜びや感動の持続力は、驚くほど、短い。

1つの道を進む。そして終着点に到着する。終着点に到着することが目標のように思えるが、実はそうではない。大切なのは終着点に到着するかどうかではなく、終着点に到着するまでの道のりを、良いことであれ悪いことであれ、味わうことである。

旅の途中では、いろんなことが起こる。それはきっと試練ではなく、この人生で必要なことに気づくために必要な、機会なのだろう。

出典

『非常識な成功法則』