人生が壊れ始めたとき、人は生まれ変わる。

日々起こる奇跡

どれだけの苦労や不幸を乗り越えてきたかは、ちょっと見ではわからないかもしれませんが、積み重ねた「乗り越え感」は人格に刻まれています。負けた経験がどれだけあるかが、自分の財産になるのです。

齋藤孝(『本当にピンチのときに読む三大「幸福論」』より)

人生は長い。

最終的に重要なのは、途中経過がどうであれ、「私の人生はこれでOKでした」という、めでたしめでたしの結末を迎えることである。

人生には、良いときも悪いときもあるが、それらは一時的な「状態」にすぎない。確かに、人生には良いときがある。しかし、悪いときもまた当然のように訪れる。

そのようなとき、意にそぐわない現実によって、心穏やかならぬ日々が続く。そして、そうした状況の中で、自分の人間力が試される。

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はじめに

「成功した人生」とは、「失敗や挫折をしたことがない人生」を指すのではない。それは、失敗や挫折を克服した先にたどり着く人生である。

私たちは、失敗や挫折を経験することによって、人生から何かを学ぶ機会を、ある意味で強制的に提供される。

人生がうまくいかない。何をしても八方塞がりになる。そうした状況は、確かに「人生の危機」と理解するのが常識的かもしれない。しかし、それは同時にチャンスでもある。

「もうだめだ…」という現実。それは、私たちがこれまでの自分を見直すきっかけであり、「より良い人生をつかむために必要な荒療治」と捉えることもできる。

活路は、開ける!

「一皮むける」という表現があるが、私たちは失敗や困難を克服することによって、物質面・精神面のすべてにおいて、一皮むけることができる。

それは、失敗や挫折を乗り越えたことによって得られる自信であり、「あのとき、あの経験があったからこそ」発見できた、自分の可能性を根拠としている。

人生には、さまざまな壁が立ちはだかる。必ずしも、それらを乗り越えることが正しい選択とは限らない。場合によっては、「逃げるが勝ち」という判断も、自分のキャパシティに応じた適切な選択であり、決して間違いではない。

しかし、自分が望もうと望むまいと、その問題と向き合う以外に選択肢がなくなってしまった場合、活路を切り開く方法はただ一つである。「私はそれを乗り越えることができる」と信じ、全力を尽くすことである。

その壁は超えることができる

人生において、自分が乗り越えることのできない問題が与えられることはない。

「人生で起こることは、自分自身があらかじめ計画してきたことである」とも言われるが、それが真実かどうかは重要ではない。大切なのは、「自分の人生で起こる問題は、必ず乗り越えることができる」という信念を持つことである。

「一念岩をも通す」という言葉は、単なる精神論のように受け取られがちである。しかし実際には、強い意志を持つこと、「何があろうと必ずこの状況を変えてみせる」という不退転の決意こそが、活路を切り開く鍵となる。

「常識的にはどう考えても詰みだ」という状況から、逆転が起こることはある。現実世界において、私たちの精神のあり方が何らかの影響を及ぼす可能性は確かに存在する。だからこそ重要なのだ。「私はこの壁を乗り越えることができる」と信じることが。

最後に

何かを築けば、それが壊れる。そして、最初から再び何かを積み重ね、私たちは螺旋階段を昇っていく。

そんな山あり谷ありの人生を送っているからこそ、なおさら感じるのは、「失敗」という概念は、長い目で見れば、ほとんど気にする必要がないということである。

なぜなら、「失敗」だと思っていた出来事が、実は自分の人生を開くために必要不可欠な過程だったという現実を、何度も目の当たりにしてきたからである。

だからこそ、「夜明け前が一番暗い」「良くなる前に悪くなる」という言葉は真理を含んでいる。それらの困難は、乗り越えるためにある。より良い人生、より良い自分と出会うために。

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