人が成長するために人生より与えられしもの

笑顔の女性

魂の成長とは、一つ一つの不幸を克服していく過程のことを言う。不幸は、人間として成長していくために与えられている。

執行草舟

人生は解釈力。

人生では嬉しいことやそうでないこと、様々な出来事が起こる。そして、起こったことは自分自身の解釈によって、意味ある気づきになりうるし、単なる理不尽な出来事として片付けることもできる。

もしも、人生で起こる様々な出来事に対して私たちがそれらが人生で起こることそれ自体を自分で完全にコントロールすることができないならば、自ら積極的に起こったことに意味や価値を見出すことこそが、光を見出す手段となるのではないか。

年年歳歳、この思いを強くしている。

はじめに

何一つ人生において「困ったこと」は起こらず、やることなすことうまくいく。「頑張ろう!」と意識せずとも物事が滞りなく進み、自分の目指す方向へ向かうことができる。その結果「自分が思ったとおり」の人生になる。

それが可能で、それを望むならそれはそうあって良いことかもしれない。

しかし現実問題、人生は「困った事」の連続であるし、「頑張ろう!」と思っても頑張れないときもある。そして人生はまるで不意打ちのように、自分が意図しない出来事はしばしば起こる。

この現実において大切なことは、起こった出来事を適切に「意味付ける」ことである。

そこに適切な意味を見いだせないなら、困難は文字通り困難でしかない。しかしそこに意味があるならば、私たちは困難を「より良い現実」へと向かうための成長の力へと変えることができる。

「人生は考え方次第」という言葉はただの例えではない。「自分の考え方次第でそれを自分のプラスにすることもできるし、マイナスにすることもできる」という、重要な示唆なのである。

プラスとマイナスは表裏一体

そしてもう一点、改めて認識しておきたいことがある。それは、「そもそもこの世界に存在するあらゆる物事には二面性があり、それらは表裏一体である」ということである。

富。成功。健康。愛。そして幸福。この世におけるプラスと評価されるあらゆるものは、その本当の価値を知るためのマイナスが付随している。そして、そのマイナスを知ることによって、プラスを強く理解することができるのである。

「お金がない」という現実を実感するからこそ「お金がある」ことの意味がわかる。失敗を重ねるからこそその先に訪れる成功の果実を存分に味わうことができる。

病気を経験し、不自由さを知るからこそ、健康の有り難さを心から理解することができる。誰一人信じることができない殺伐とした現実を知ってこそ、人の温かさ、思いやり、愛の存在をかみしめることができる。

この意味で、プラスとマイナスは表裏一体。マイナスの向こう側に隠れているプラスに意識を向けるのか。それともマイナスのみに意識を向けるのか。その選択を行うのは、私たち自身である。

問題ではなく問題の向こう側へ意識を向ける

逆説的に聞こえるかもしれないが、物事が本当の意味で好転するためには物事が徹底的に壊れていく過程が必要である。すなわち、徹底的にだめになってからこそが、本当の意味での逆転の始まりである。

それが中途半端に大丈夫なうちは、それを本当に変えようという動きは起こらない。だが、もうそれが壊れてしまいどうしようもなくなったとき、私たちは動かざるを得なくなる。

物事は停滞というよりも下降することによって上昇へと向かう。問題や障害、壁といった「マイナス」の現象に打ち勝つために大切なのは、現象それ自体に意識を向けるのではなく、その向こう側にあるものに意識を向け続けることである。

すなわち問題や障害、壁といった「マイナス」の現象は私たちを苦しめるためではなく、私たちが「プラス」へと向かう過程なのである。だからこそ、良くなる前に物事は一旦悪くなり、「夜明け前が一番暗い」という現象が起こるのである。

最後に

幸せな人生とは不幸が全くない人生のことではない。

人生でつまずき、困難を味わうからこそ日々の何気ない幸せをありがたく感じることができる。それは不幸を通じて得た気づきや自分自身の成長によって、幸せの意味、価値を、知ったからである。

成長のない人生は無意味ではないが、それは味気ない。だからこそ適宜必要なのだろう。人生には困難や障害、不運といったスパイスが。

出典

『超葉隠論』