「私の人生に○○がなくてもOKである」その確信的感覚を「自分軸」と言う。

そうじゃないのよ

なぜそんなに成功が必要でしょうか。幸せでなければ人生は失敗なのでしょうか。

執行草舟

「お金があれば幸せ、お金がなければ不幸せ」

「理想の家庭を持てば成功、孤独な人生は失敗」

「何かを成し遂げた人生に意味があり、何も成し得なかった人生は無意味」

この世界には、よくよく考えれば不思議な話がたくさんある。

本当に私たちの人生は、「○○を実現すれば成功で、○○を実現できなければ失敗」なのか?「○○があれば幸せで、○○がなければ不幸」なのか?その答えを理解するキーワードが「自分軸」である。

はじめに

社会的に成功しても、お金があっても、「何かが足りない。満ち足りない」という気持ちを消すことはできない。パートナーがいて「自分は人に愛されている」ことを確信したとしても、どこかで「自分はOKでない」感じがつきまとう。

そんな、「○○があるのに幸せでない」と感じることは起こりうる。なぜなら「○○がある」ことは人生の幸せとは関係がありそうで、実はあまり関係がないことだからである。

確かに社会とのつながりや評判、お金によって実現できる快適な暮らしは日々のストレスを感じにくくさせるものである。

この意味で社会生活がうまくいかないよりもうまくいった方がいいし、お金はないよりあったほうがいい。孤独は限定的な意味においては幸福だが、人とのつながりは必要である。だがそれらがない人生が不幸とも限らない。

そして、「○○がない自分は幸せでない、OKでない」という価値観に支配されている間は、「○○がある」ようになったとしても、実のところ現実が思ったほど変わっていないことに気づくだろう。

比較すればキリがない。そして

「貯金が○○○○万円になれば安心だ」と考え「○○○○万円の貯金」を達成した瞬間、更にお金に対する不安を見出す。「○○がない自分はまだまだ」と考え努力によって「○○がある自分」になった瞬間、なぜか自分の更なる不満点が目に入り出す。

満たされても満たされない。その原因を解決するカギこそが「自分は○○で十分である」というライン、すなわち自分軸を持つことである。自分軸を持ち「足るを知る」で自分と人を比べない。これこそが自分の人生を受容する生き方である。

上も下も、自分と何かを比較すればキリがない。そしてそもそも、比較することそれ自体に意味がない。

自分にとって「○○さえあれば」本当に幸せなのか?今よりもっと、良い人生が約束されるのか?ほんとうに「○○がない自分」は不幸なのか?失敗なのか?それは常に、自問自答されるべき問いである。

自分軸を持つ第一歩

「より良い人生」「今よりマシな自分」を目指すことはたしかに価値がある。だが自分の人生を歩む上で、「もっと」を求めることや、現状に「課題」や「不満」を見出し続ける限り、人生より安心は遠ざかる。

「○○があることはOK」はつねに「○○がないとOKでない」という思考と表裏一体である。だからこそ自分の軸を意識しない限り、私たちの人生は「○○がないあなたはOKではありません」と、常に追い立てられる。

「自分の人生は自分の人生。○○があろうがなかろうがそれはそれはOKである」という可能性を意識し始めること。それこそが自分軸を持つ第一歩である。

最後に

年齢を重ねるなか、「人生で本当に大切なものは過程そのものである」という言葉がより切実に響く。

何かを得たら得たらでそれはそれでいい。しかし、何かを得られなかったとしても、それはそれでよし。なぜなら大切なのは日々自分が経験する様々な事柄や出来事それ自体だからである。

何かを得てもそれを得たまさにその瞬間、その次に求めるべき結果が登場する。ではさらなる満足、上昇を目指し努力するべきなのか?それができるなら、それをしたいならそれもいい。欲を持ち欲を満たすことは学びの過程である。

だが、もっと肩の力を抜き「自分はここのラインでOKです」と適宜折り合いをつけることも大切ではないか。しみじみ、そう思う。

出典

『成功に価値は無い!』