なぜか運に恵まれる人が意識している3つのこと

幸運よ来たれ

幸運を手に入れるためには、それに相応しい言葉、態度、表情が必要です。

諸富祥彦

人生は計算外。

そこには常に、「運」という自分以外の重要な要素が絡む。

能力だけ、努力だけで人生がハッピーになればそれにこしたことはない。だが実際のところ、能力や努力以上に「運」の力は大きい。ゆえに自分の能力や努力の効果を過信しすぎれば現実に失望する。

だからこそ必要なのだ。「運を呼び込む」という試みが。

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はじめに

自ら発する言葉に注意を払い、にこやかな表情で明るく人に接し、前向きな態度で粘り強く物事に取り組み、自分の人生に最善を尽くす。そんな人に絶好のチャンスや不思議な後押しが与えられる。

その一方で、常に否定的に物事を考え、外に発する言葉に気を払わず、仏頂面をして他者に対してウェルカムでない態度を取る人にますますトラブルが訪れる。

どうやら「運」というものは、その時々の状況や環境によって上下するだけではなく、私たちの立ち振る舞いや考え方、行動によって積極的に呼び込める、もしくは遠ざけることができるらしい。

この意味で幸運になる人とは、「自らの態度如何によって運を近づけることもできるし遠ざけることもできることを知っている人」と言える。

運は巡るもの。その一方で自ら呼び込むこともできる

運は「誰にでも」公平に訪れるものと思われがちだが、実際のところ、世の中には運に恵まれやすい人もいるし、そうでない人もいる。それはもしかしたら、先天的な理由があるのかもしれない。

だがその一方で、「運を高めること」に関心を払い、可能な範囲で運を呼び込む工夫を積極的にしている人に運が訪れるのは決して偶然ではない。

自分の運を1%でも高めることができるなら今すぐそれを実行する。運を遠ざけるような不機嫌な行いは自戒して慎む。そんな意識的な振る舞いこそが結局は運を呼び込む。

「自分にできることは何もない」と考えればそれまでだが、「自分はツキに恵まれる」ということを信じ、運という存在に敬意を払い、招くための行動を起こす。

きっと運を呼び込む本質とは、自らの意図を持ち、自らの流れを良くしたいと考える、積極的な態度なのだろう。

自分を律して「行い」に意識を払う

我が国には「花咲かじいさん」という昔話があるが、自らの日々の行いが、自分が咲かせる花を決める。まるで道徳のような話だが、現実面でこのような証明はできないが「(結果として)そうなる」という傾向は確かにある。

自分の表情と、それが人に与える印象を意識する。自分が発する言葉が人の心にどんな影響を与えるかを意識し、言葉を注意深く選ぶ。日々可能な範囲で関わる人に親切にし、人が知らないところでこっそりと陰徳を積む。

運を呼び込むということはすなわち、自分の行いを客観的に見つめ、改め、そして変えていく、極めて自律的な行いである。だからこそ、「幸運を手に入れるためには、それに相応しい言葉、態度、表情が必要」なのだ。

最後に

想像もしない幸運を自分が望むタイミングで手に入れることはできないかもしれないが、自分自身の在り方、考え方、態度によって、幸運を呼び込みやすくすることは多少なりとも可能である。

結局のところ、人生にすねていては訪れる幸運も訪れない。であるならば、「幸運を手に入れるため」に相応しい言葉、態度、表情を選んだほうがいい。良いことが起こることを期待して前向きに生きた方がいい。

それこそがまさに、運を呼ぶこむか。それとも運を遠ざけるか。その選択なのだ。

出典

『偶然をチャンスに変える生き方』