どれだけの苦労や不幸を乗り越えてきたかは、ちょっと見ではわからないかもしれませんが、積み重ねた「乗り越え感」は人格に刻まれています。負けた経験がどれだけあるかが、自分の財産になるのです。
齋藤孝
人生は長い。
最終的に重要なのは、途中経過がどうであれ、「私の人生はこれでOKでした」というめでたしめでたしを迎えることである。
人生良いときも悪いときも、それは一時の「状態」でしかない。そして、人生で良いときは確かにあるけれど、悪いときも当たり前のように訪れる。
そのとき、意にそぐわない現実によって心穏やかざる日々が訪れる。そして、自分の人間力が試される。
はじめに
「成功した人生」とは「失敗や挫折をしたことがない人生」を指さない。それは、失敗や挫折を克服した先にたどりつく人生である。
私たちは失敗や挫折を経験することによって、人生から何かを学ぶ機会をある意味強制的に、提供される。
人生がうまくいかない。何をしても八方塞がりになってしまった。そんな状況は確かに「人生の危機」と理解することが常識的かもしれない。しかしそれは同時にチャンスでもある。
「もうだめだ・・・」という現実。それは、私たちが今までの自分を改めたり、「より良い人生をつかむために必要な荒療治」と考えることもできる。
活路は、開ける
「一皮むける」という表現があるが、私たちが失敗や困難を克服することによって、私たちは物質面・精神面、すべての面において一皮むけることができる。
それは失敗や挫折を克服したことによって得た自信であり、「あのとき、あの経験があったからこそ」発見した自分の可能性を根拠としている。
人生には様々な壁が立ちはだかる。必ずしもそれらを乗りこえることが正しい選択とは限らない。場合によっては「逃げるが勝ち」で、自分のキャパシティに応じた選択をすることは決して、間違いではない。
だが、自分が望もうと望むまいと、その問題と向き合う以外のチョイスがなくなってしまった場合。活路を切り開く方法が一つだけある。「私はそれを乗り越えることができる」と信じ全力を尽くすことである。
その壁は超えることができる
人生では自分が乗り越えることができない問題が与えれることはない。
「人生で起こることは自分自身で計画してきたことだから」というのがその理由として言われるが、それが真実かどうかは関係ない。大切なのは、「自分の人生で起こる問題は必ず乗り越えることができる」という信念を持つことである。
「一念岩をも通す」という言葉はただの精神論のように思われがちだが、実際問題、強く気持ちを持つこと、「何があろうと必ず、私はこの状況を変えてみせる」という不退転の決意を持つことによって活路を切り開くことができる。
「常識的にはどう考えても詰み」という状況から逆転は起こる。現実世界に私たちの精神の持ち方が何らかの影響を及ぼす可能性があることは、確かである。だからこそ大切なのだ。「私はこの壁を乗り越えることができる」と信じることが。
最後に
何かを築けばそれが壊れる。そして最初から何かを再び積み重ね、螺旋階段を昇っていく。
そんな山あり谷ありの人生を送っているからこそなおさら感じるのだが、「失敗」という概念を長い目で見れば、「ほとんど気にする必要がない」ということに気づく。
なぜなら「失敗」だと思っていたことが実は、自分の人生を開くために必要不可欠な過程であるという現実を、繰り返し目の当たりにしたからである。
だからこそ「夜明け前が一番暗い」「良くなる前に悪くなる」。それは乗り越えるためにある。より良い人生、より良い自分と出会うために。
出典
『本当にピンチのときに読む三大「幸福論」』