
財務内容がよくて業績のよい企業の株価にも上下の変動があるように、人生にも好調不調の波があります。不調なときに損を最小限にしてしのぎきるには技術が必要になるのです。
石川臨太郎(『潜在意識を活用した最強の投資術入門』より)
もしも、人生の「力量」や自分自身の「人間性」が試されるときがあるとすれば、それは上昇の過程や、目標を達成して成功を手にしたときではないと私は思う。
それはむしろ、「あなたは今、崖っぷちです」「多くのものを失いましたね」と突きつけられたときではないだろうか。逆境のときこそ、その人の偽りのない姿があらわになるからだ。
人生で追い詰められたとき、その状況をすぐさま反転させるのは容易ではない。精神的にも摩耗する。だからこそ、その局面をどう過ごすかに「力量」や「人間性」が問われるのだ。
だが、人生はそこまで無慈悲ではない。一見、再起不能の「ゲームオーバー」に見える状況であっても、人が解決できない問題を与えられることはない。乗り越えられるからこそ、その試練は訪れている。
それを踏まえた上で、この記事では逆境を「損を最小限にしてしのぎきる」ための、シンプルだが本質的な考え方について書いていく。
はじめに
経験した方ならご存知かと思うが、人生の歯車が狂い出すとき、それは恐ろしいほどの連鎖となって押し寄せる。
たとえば、恋人と別れて絶望しているときに限って、上司から遠方への転勤を命じられたり、不可抗力のトラブルに巻き込まれて職を辞さざるを得なくなったりする。
あるいは、騒音問題でやむなく引っ越した矢先に、今度はストレスによる体調不良で緊急入院が決まり、多額の医療費で蓄えが削られていく。このようなトラブルの「コンボ」は、決して偶然ではない。
人が強いストレスにさらされているとき、判断力や注意力は確実に低下する。視野は狭まり、普段なら避けられたはずの選択ミスや、余計な衝突を引き起こしやすくなる。
その結果、一つの不運が次の不運を呼び込み、まるで連鎖しているかのように状況が悪化していくのだ。負の連鎖とは、運命的な罰ではなく、人間の心身が疲弊した状態で起こりやすい、ごく現実的な現象なのである。
ここで決して勘違いしてはいけないのは、「この状況が永遠に続くのではないか」という絶望に飲み込まれることだ。
人生には、確かに不調な時期がある。だが、その時期は必ず過ぎ去る。だからこそ、今必要なのは明確だ。「不調なときに損を最小限にしてしのぎきる技術」である。
では、その技術とは何か。それは「今、自分は不調期にいる」という自覚を持ち、傷口を広げないよう控えめに日々を過ごすことである。
逆境で傷を広げないための「3つの具体的指針」
ここからは、人生の不調期に「傷を広げない技術」とは具体的にどのような振る舞いを指すのか、その詳細を記していく。
ポイントは極めてシンプルだ。不調の時期というのは、文字通りあらゆる物事が裏目に出やすく、予期せぬトラブルに見舞われがちな時分である。この荒波を防ぎきるために必要なのは、自分を過信しないことだ。
「普段の自分ならこれくらいできるはずだ」という平時の基準を一度捨て、当たり前だと思っていた日常が今は当たり前ではない、と自分に言い聞かせなければならない。その自覚を持った上で、次のことを日々意識して動くのだ。
傷口を広げない技術:人生の「ナンピン」を避ける
投資の世界には、損をしている局面でさらに買い足し、平均取得単価を下げようとする「ナンピン」という手法がある。
これは功を奏することもあるが、判断を誤れば傷口を致命的に広げるリスクを孕んでいる。人生も全く同じだ。不調なときに「一発逆転でこの流れを変えてやる!」と息巻いて動くのは、極めて危険である。
たとえば、会社での居場所を失いかけているときに、「投資で一儲けして見返してやる」と慣れない投機に走ったり、「こんな会社はやめてやる」と勢いだけで起業したりすることだ。
不調期にある人間は、往々にして判断力が鈍っている。本来なら軽症で済むはずの事態が、焦って大勝負に出ることで、取り返しのつかない重症へと発展してしまうのだ。
ここで必要な技術は至ってシンプルだ。「今は裏目の時期だ。現状維持さえできれば御の字だ」と自制し、リスクを伴う行動を徹底して控えることである。
撤退ラインの死守:明確な「損切り」を設ける
人生の不調期には、自身のパフォーマンスも低下しがちだ。その結果、人間関係や仕事、日々の生活において、通常よりも強い負荷を感じる場面が増えていく。
ここで無理に踏ん張ってはいけない。「これ以上は踏み込ませない」という境界線を明確にし、その一線を越えそうなときは速やかに「撤退」することだ。
泥沼の人間関係に疲弊しているなら、「これ以上プライベートを侵食されるなら、距離を置く」と決める。心身を削る仕事に従事しているなら、「これ以上眠れなくなるようなら休職する」と決める。
撤退ラインを定め、無意味な根性は捨てる。頑張れない自分を否定せず、ありのままを受け入れる。自分に過剰な負担を強いるのをやめ、静かに時を稼ぐのだ。
もっとも、こうした判断を常に冷静に下せるとは限らない。追い詰められているときほど、人は自分を追い込み、「まだ耐えられるはずだ」「ここで逃げたら終わりだ」と無理を重ねてしまう。
それができない自分を、責める必要はない。不調期とは、そもそも最善の判断が難しくなる時期なのだ。気づいた時点で立ち止まれれば、それだけでも十分に「損を抑える行動」である。
心の余力を保つ:それは人生の「キャッシュ(現金)」である
投資家が暴落時に最も恐れるもの。それは、市場からの「強制退場」である。資産をすべて失えば、次のチャンスに参加することすら叶わなくなる。
人生における強制退場とは、健康を損なうこと、自尊心を失うこと、そして生きる意欲が枯渇してしまう状態を指す。
それを防ぐために不可欠なのが、自分を追い詰めないための心の技術だ。現状の苦しさを認めつつも、「必ず夜は明ける」という希望の火だけは絶やさないこと。そして、「理想通りの自分ではないが、それでもいい」と自己を受容することだ。
不調期ほど、意識をどこに向けるかが重要になる。心に余力を残す習慣こそが、人生を破綻させないための最大の「技術」なのだ。
逆境でこそ磨かれる「真の力量」
人生が快調なとき、前向きな気分でいるのは容易だ。
仕事は順調、人間関係は良好、経済的にも潤っている。そのような状況で、あえて「力量」や「人間性」を問う必要などない。
だが、人生の不調期は残酷だ。予期せぬトラブルが続発し、己の未来に暗雲が立ち込める。ここで絶望し、自暴自棄になるのは簡単だ。しかし、だからこそ、そこでの「主体的選択」がその後の未来を決定づける。
苦しいときほど、これ以上傷を広げないよう振る舞う。「今は耐え時だ」と己を律する。「再び良い波は来る」と確信する。これこそがまさに、石川氏の説く「不調なときに損を最小限にしてしのぎきる技術」の本質に他ならない。
最後に
人生には波がある。好調の波があれば、不調の波もある。重要なのは、その波の性質に合わせて「乗り方」を変えることだ。
好調期であれば、果敢に攻めることで「会心の一撃」を出すことも可能だろう。だが、不調期に同じ熱量で攻めれば、待っているのは悲劇的な結果である。
全く同じ行動であっても、タイミング次第で結果は180度変わる。だからこそ、不調な時期には「いかに損を抑えるか」に全神経を注ぐのだ。
不調の波はやがて去り、必ず好調の波が巡ってくる。そのとき、最小限の傷でしのぎきってさえいれば、挽回はいくらでも可能だ。
「守り抜く技術」を携えて時を待つ。その先にこそ、再起の扉は開かれている。

