私たちは、会えば絶対、すぐにわかる。
宮水三葉
私たちは常に、人生で出会うべき誰かとの出会いを探している。それを運命の人、約束の人。言い方は何であろうとかまわない。
ただ一つ言えること。それは、私たちの人生は、人との出会いによって織りなされていく物語である、ということだ。
誰とも関わらない人生
私の人生は人との出会いによって織りなされていく。
それが意味することはつまり、私たちは自分一人だけでは何も生み出すことができない。喜びも悲しみも、何もかも味わうことができない。
それこそが、私たちの物語が生まれる決定的な意味である。
だから私たちは常に他者を必要とする。そして、他者からも必要とされる。
「人は一人ではない。一人では生きていけない」
というのは、こういう意味だ。
孤独を知って分かること
もちろん、私たちは孤独でも生きていくことはできる。
誰とも関わらず、ただ一人、自分のことだけを考えていくことは不可能ではない。
ますます孤独でも生きていける環境が用意されている今の世の中、孤独に生きることは何も、人から批判されることではない。
いやむしろ人生、孤独になる時間も必要である。
孤独になり一人きりで人生を生きていく寂しさを知ってこそ、誰かと居ることの素晴らしさや、一人だけではできないことをできる素晴らしさが分かる。
これが「生きていく」ということ
一人だけの物語は味気がない。だから私たちは誰かを求める。だから人生はドラマティックになる。
誰かとの出会いも。別れも。全てが全て、一つ一つが、意味を成す。
傷つけあった友。報われない努力の虚しさと恋を失う哀しみを教えてくれたあの人。出逢いはすべて、必然だ。
私たちは常に、人生で出会うべき誰かとの出会いを探している。それこそがまさに、生きていく、ということなのだ。
出典
『君の名は。』