「他者への嫌悪感」の本質は「自己嫌悪」である。
田坂広志
「人類みな兄弟」とは言うものの、世の中にはどうしても好きになれない人がいる。顔を見ただけで、イヤな気分になってしまう人がいる。
一体なぜイヤなのか?
イヤな理由を考えても分からないかもしれないけれど、その本当の理由は、もしかしたらこれがその理由なのかもしれない。
「自己嫌悪」
他者という鏡
自分には、自分が意識している自分と、意識していない自分がいる。後者のことを難しい心理学では「抑圧」という理屈で説明する。
すなわち、人は自分が見たくない現実を、意識的に見ないようにするというのである。
では、その影響がどこに出るのか?ズバリ、「他人」という生きた写し鏡によって、それを見ることができる。
他人の気に食わないところ。気になって仕方ないこと。そこに実は、自分が意識の下で抑圧してきたものが隠されているのである。
気づきを得る考え方
例えば、どうしても受け入れられない人がいる。
とくに個人的にイヤなことをされたわけではない。嫌いになる明確な理由がない。にもかかわらず、どうにもこうにも気に食わない。なんとなく、存在自体がしゃくにさわる。
そんな感情がわいてきたら、もしかしたらその人は写し鏡。「自分が意識していない何か」を示してくれる存在なのかもしれない。
悪い出会いにも意味がある!
これは心理学の話なので、事実かどうか、証明するすべはない。ただ、この考え方を自分の成長のために役立てることもできる。
すなわち、「人の振り見て我が振り直せ」。どうしても受け入れられない人がいたら、自分にその人と同じ何かを持っていないか。自己観察の材料にするのである。
この意味で、「われ以外みなわが師」という言葉はきれいごとではない。自分を効果的に成長させるための貴重な教えなのである。
気に食わない人との出会いも、与えられる意味があるのである。
まとめ
私たちは、他人のなかに、自分が隠した自分を見る。
他人の気に食わないところ。気になるところはまさに、自分自身が隠し持っている欠点である。
「私はあなたのことがどうしても気に食わないです」と否定的な態度を選ぶこともできる。
一方で、心を広く持ち、「なぜそこまで気に食わないのか?それは具体的に何なのか?」と冷静に考察することもできる。
出会いから自分を成長させる、貴重な経験になるだろう。
出典
『逆境を越える「こころの技法」』