仕事に困らないために一生懸命勉強して学歴を手に入れる。病気に備えて保険に入る。老後に安心して暮らしていくために、お金を無駄遣いせず、しっかり貯金する。
あなたもこのような話を聞いたことがあると思うが、将来の「不安」や「問題」を避けるために、予防策を打っておくことは大切である。
将来困らないために、最低限やるべきことをやっておくことは必要なことである。
だがこの記事では、「だからしっかり勉強しましょう」「貯金しましょう」「保険に入りましょう」という話をするわけではない。
将来の不安を予防する試みはある程度は必要だが、そのせいで一度きりの人生を楽しむ余裕まで、失ってはいけない。
はじめに
貯金。保険。勉強。私たちは人生で起こる問題を予防するためにいろいろな準備する。
しかし忘れてはいけないことが一つある。それは、私たちは人生で起こることすべてに予防策を打つことは不可能である、という事実である。
現実問題、あなたがいくら将来の不安に備えるために、思いつくあらゆる手を打ったところで「想定外」の問題は必ず起こる。「これから起こること」全てを予想して対策をしておくことは、無理である。
この意味で、将来に備える行動すべてが無駄ということはないが、何でもかんでも「将来のため」という大義名分のために、思考停止をしてはいけない。
何のために将来に備えるのか?どの程度備えるのか?「今」と「将来」のバランスを考える必要があるだろう。
「貯金」のために人生を犠牲にした人の末路
例えばあなたは、「お金が人生の安全を約束してくれる」と信じ、就職後はひたすら、倹約に励む日々を送る。
その結果、自分への投資をせず、人生という一度限りの経験を楽しむことをしないまま、ひたすら貯金の金額だけが増えていく。
そして、その人がいよいよ退職を迎えたとき、数億以上の貯金が手元に残る。
「数億円」(金額はいくらでもいいが)という数値だけ見れば、あなたはこう考えるかもしれない。「それだけあれば、安心だろう」と。
ところがいくら貯金があろうとも、それで人生めでたしめでたしになるかというと、そうは問屋が卸さない。実際の話、吝嗇に徹してためたお金は、突如消えてしまうことがある。
突然の事故。病気。詐欺。インフレ。形は様々だが、「予想外」のことが起こり、突然お金に羽が生えたように、消えていく。だから、「これだけお金があれば安心」なんて考えは空想である。
結局、いくら貯金を積み重ねたところで、安心を買うことはできないのである。もちろん、貯金ゼロよりはマシかもしれないが。
将来のために今を犠牲にする人生
将来の不安を予防するために、人生で経験できることを経験しないことは損である。損であるどころか、不幸の原因である。
話から察するに、あなたは自分で不安を考え出してしまうタイプだと推測するが、せっかくそんな知能の高さを与えられているのだから、それを良い方向で生かしたらどうだろう?
つまり、問題が起こったときは起こった時。それを避けようとするのではなく、起こったことに理由を見つけるのである。
あなたが「こんなことは起こってほしくない」と不安なことが実際に起っても、むしろそこからあなたは、「私にはこんな可能性があったんだ」と気づく出来事が起こるかもしれない。
つまり人生は塞翁が馬。一見マイナスにしか思えないことから、プラスを見つけることは往々にしてあるのである。
問題が起こることを受け入れる
ただ一つ言えるのは、将来の不安を防ごうと、あなたが自分の人生を楽しむことを放棄していることは、あなたも自分で気づいているとおり、過剰な反応だと思う。
貯金は必要である。でも、貯金を目的に、あなたが成長するための機会を放棄したり、生きる喜びを味わう経験を避けたりすることは、本当に自分のためになっているのか?考えたほうがいいだろう。
それは今後いくら後悔したって、決してお金で取り戻すことができないものなのだから。
人生「最悪」が起こっても、そこから「最高」の出来事が起こるかもしれない。人生は生きてさえいれば、なんとでもなる。
将来の不安に怯えるのではなく、自分自身の未来を、信頼してみてはどうだろうか?
最後に
将来の「不安」を予防しようとあれこれ心配することは、ある段階までは必要なことである。
貯金はあったほうがいい。3年、いや1年無職でいても大丈夫なくらいの、貯金はあった方がいい。でも、いくら貯金をしても、想定外の問題は起こる。
だから、将来の不安をすべて消そうとするようなことはそもそも、「効果がない」ことである。それを昔の人は杞憂と言った。
あなたが今からできることは、未来に怯えることではなく、今この時点で、楽しみを見出すことである。
人生は一度切り。問題が起こってもいいではないか。転んでもいいではないか。生きてさえいれば、すべての経験は必ず、意味を持つ。
不安に備えてもいいが、決して、今を犠牲にし過ぎてはいけない。