人生は先生で決まる。では良い先生の見分け方とは?

先生と生徒

人生は出会い。良い師に良い友。そして良い恋人。人生を本当の意味で豊かに彩るために、出会いは積極的に求めていい。

出会いの中でも人生において大きな意味を成すのが先生である。

例えば人生において大きな悩みが生じたとき、必要な先生と出会いアドバイスを受けることは、人生の壁を乗り越えるために必要なプロセスになるだろう。

ただ先生と言っても、良い先生と悪い先生がいるのは言うまでもない。

そこでこの記事では、信頼できる先生信頼できない先生を見抜くかんたんかつ重要なポイントをあなたにシェアしたい。

ちなみにここで言う先生とは、人生全般、あなたに影響を与えるメンターや、「学校の先生」や「習い事の先生」と言った、幅広い意味での先生を指す。

この点、この記事を読めば、あなたが誰についていけばいいか?いろんな意味で、知っておいて損はないだろう。

はじめに

まず結論から。

良い先生とそうでない先生を見抜くかんたんなポイントであり、本質的な着眼点。それは、次の言葉に要約することができる。

「その先生はあなたを自立させようとするか?それともあなたを依存させようとするか?」

前者ならその先生は本物であり、信頼できる先生である。なぜなら、本物の先生は生徒に自分を乗り越えて、遠く先へと進んでほしいと願うからである。

一方で偽者は分かりやすい。いつまでもあなたを自分の側において依存させようとしてくる。そして、あなたからお金や諸々のものを吸い取ることによって、自分の目的を果たす。

人生に先生は必要である。ただし、「誰」に教えを請うかは、慎重に吟味したい。

本物の先生はときに冷たく見える

本物の先生の言動はとても分かりやすい。

是々非々で物事を伝え、生徒を甘やかすわけでもなく、こびるわけでもない。いやむしろ、「それを言えば生徒から嫌われる」といったことも、ためらうことなく伝える。なぜなら、それが生徒のためになるからである。

そして自分の役目が終わったとき、生徒を快く送り出そうとする。その視線は極めて対等である。「私が先生ですよ」と上にいることを誇示せず、生徒と同じ目線で物事を見ようとする。

あなたがこのような先生と出会ったなら、ぜひその出会いを大切にして欲しい。それはまさに、僥倖である。

偽者はここですぐに分かる

一方、偽者の先生は本当に分かりやすい。

あなたが成長し、更に伸びようとするときでさえ、「私を超えてはいけません」というような「限界」を設定しようとする。

例えば、生徒に「自分はまだまだダメだ・・・」と自信を持たせないような言動をそれとなく仕込んでくる。そして、「私には先生が必要なのです。教えて下さい」となるように仕向けてくる。

ひどい場合、生徒に自分は何でも正しい存在であると崇拝の対象にまで「洗脳」し、「先生の言うことは絶対です」と生徒に思考放棄を促す人もいる。それは非常に危険な存在である。

「人生で成功するためには、幸せになるためには、先生(メンター)が必要なのです。私があなたの先生になりましょう」と主張する人物には、冷静になってその人物の真贋を観察したい。

「相性」を重視する

ちなみに一般的な話だが、あなたが英語や楽器、何でもいいが、先生にお金を払って習う場合、相性はとても重要な問題である。

なぜならそれは人と人とのこと。合わない人は、やっぱり合わないのである。

もちろん、あなたの運勢によっては「あえて」合わない人と人間関係を持つことによって、必要な気づきを得ようとする時期もある。そのため、食わず嫌いは必ずしも正解ではない。

ただ、最初の段階で「この先生はちょっと・・・」という直感を得た場合。自分の心を騙してまで指導を乞う必要はないだろう。

まとめ

ここまでの話をまとめる。

良い先生とは、あなたを自分に依存させず、独り立ちできるように応援してくる存在である。

例えば、あなたが英語を勉強したいと思ったとき、あなたが先生に教えをこわずとも自分で英語を勉強できるよう、導いてくれるのが良い先生である。

「分からないことをいつでも教えてもらえる」というのが良い先生と錯覚しがちだが、それは生徒を依存させているだけである。

この意味で、良い先生のもとは、ある段階に到達すれば必ず、「卒業」するようになる。一方、いつまでもその先生に頼り切っている場合。冷静に、先生との関係を見つめ直した方がいいかもしれない。

最後に

人生は出会い。

人は人との出会いによって人生が変わっていく。勉強や仕事。悩んだとき。壁にぶつかったとき。先生のアドバイスによって、成長し、一皮むけることができる。

あなたが先生を必要としたときのために、頭の片隅にでも、この話を入れておくといいだろう。良い先生と出会うために。