「良いことを思えば良いことが起こる」という考え方の補足

笑顔の女性

良い思考は良い現実を、悪い思考は悪い現実を。

良くも悪くも私たちの心の姿勢、すなわち「心的態度」は私たち自身の人生に影響を及ぼす。「心に植え付けてきた考え」こそが人生で起こる出来事の「原因」であるならば、人生の道のりというのはまさしく、「自分が考えてきたことの結果」と言える。

この意味で、「私は◯◯という人生を願います」と「考える」ことはとても重要である。実現は自分が「意図」することから始まる。だからこそ現実世界で望むことを願ってもいい。

だが一つ、知っておきたい視点がある。この記事ではそれについて語りたい。

はじめに

心の姿勢。それは人生という枠組みの中で強烈な影響力を持つ。

まるで小学校の道徳の授業のような話だが、肯定的、積極的な心の姿勢は人生の明るい部分を引き出す。そして否定的、消極的な心の姿勢は人生の暗い部分を引き出す。心の姿勢によって「人生で起こることの傾向」は明らかに変わる。

だがその一方で、ある一定の範囲内だが、心の姿勢が干渉しない部分もある。それこそが「運命」と呼ばれるものである。

現実の問題として、いくら肯定的で積極的な心の姿勢を持ち日々を生きようとも、人生のところどころで、「なぜこのようなことが起こるのですか?」という現実は起こりうる。

良いことを考えれば良いことしか起きないのであれば、理屈としてそのようなことは起こるはずがない。だが実際は起こる。いつも明るく、周囲に光を照らしている善人としか言いようがない人でさえ、その人生で理不尽な出来事は起こる。

だが実はそれは意味がある。それは問いである。「あなたはどのように生きるのですか?」という、人生からの問いである。

試練は訪れる。その理由が

『生きがいの創造』などのベストセラーで知られる経営学者の飯田史彦さんは、「人は自ら自分の人生でテストを用意する」とその著書のなかで述べている。

「人生とはいわば、自分自身の本質が何かを学ぶことによって成長するための体験である」というのがその考え方なのだが、それが事実かどうかに関わらず、現実的にこの考え方はとても理にかなっていると感じている。

確かに人が成長するためには試練が必要である。楽しいことばかりの人生は楽だが成長はない。ゆえに「私は素晴らしい人生を望みます」と前向きな態度で日々を過ごしたとしても。人生では幾度となく成長せざるを得ない出来事が起こる。

それは表面的な事象としてはネガティブな部類かもしれないが、その本質は異なる。

人生のネガティブな出来事が起こったとき、それを「不運な体験をしました」と捉えることは簡単だが、「苦のなかに学びや成長を見出す」という経験それ自体に価値があることもまた、事実である。

「望んでいない」のに起こったこと

「私は◯◯の実現を願います」

「私は◯◯になる人生を願います」

理想や願望が実現することを意図することはとても大切である。それを意図することによってその思考は現実化する可能性が生じるからである。だがそれと同時に重要なのは、自分が意図していないこと、「望んでもいないのに起こったこと」に対する態度である。

何が起ころうともそれは自分にとって必要な経験であること。それが起こるには何らかの理由があること。それに対して最善の態度を選択することではないだろうか。

人生は望みや理想を実現し、喜びをかみしめるという経験も生きる喜びの一つだが、それだけが生きることのを全てではないし、「正解」でもない。

ときに、地に膝を屈するような経験。明日のことが不安で不安で仕方がない時間を過ごすこともまた、人生という体験の一部であり、自分の人生を完遂する過程の一部なのである。

最後に

良いことを考えれば良いことが起こる。悪いことを考えれば悪いことが起こる。

確かにそれは一定の傾向としてあるのだが、良いことを考えても(それが起こることが必要であれば)悪いこと(のように見えること)は起こりうる。悪いことを遠ざけようとして、「ネガティブ」な要素に目を背けることによって必要な人生経験を損なってしまう。

そもそも物事に良い悪いのラベルを貼るのは自分自身である。そして、それが起こって本当に悪かったのか?その正しい判断は後々にしかわからない。全く非合理的だが、「あのときはひどい目に遭いました。でもそのおかげで・・・」という現実は度々、訪れる。

人生に様々な事柄を期待し、起こって欲しいことを意図することは重要である。それと同時に、悪いこと(のように見えること)を過剰に避けようとするのではなく、「最終的には何が起こっても大丈夫!」と自分の運命を信頼することが大切である。