自分にないものはないかもしれない。だがそれでいい

笑顔の男

「天分」という言葉がある。「生まれつき持った才能や性質」というのがその意味だが、実際のところ人には最初から持っているものと持っていないものがあるように思う。

そして私たちは「自分が持っているもの」を軽く扱い、「自分が持っていないもの」に対して、過大な期待を抱く傾向があるようだ。

もちろん、自分にないものを求め手に入れようと努力をすることによって、私たちの人間性が向上していくという面は確かにある。だがそれと同時に、自分にないものはないものとして割り切ることも大切ではないか。この記事はそんな話である。

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はじめに

私たちは一人一人、それぞれ天分を持つ。そのなかには自分の努力や取捨選択によって変えていくことができる部分は確かにある。その一方で、どうしても変えられない部分も存在する。

わかりやすいのが性格である。同じ親のもとに生まれ、同じ環境で、同じ教育方針で育てられた双子でさえそれぞれの性格は違う。そして歩む運命も違う。

とするならばやはり私たちには私たち自身としてそれぞれが、何かしらの「自分らしさ」を最初から持っていると考える方が自然であるように思う。だからこそ自分は自分であるものはあるし、ないものはない。

大切なことは、自分自身の選択と行動によって変えられるものと変えられないものを理解した上で、人生におけるあらゆる事柄を取捨選択することではないだろうか。

「私は◯◯できない」は「私は◯◯ができる」を知るヒント

「できないことができるようになる」

それは成長という言葉で表現される、人が持つ偉大さの一つである。

だが、私たちはなんでもかんでもできるようになる必要はない。むしろ、「できないことはできない」と割り切ることによって「だから自分は◯◯できる」と気づくことさえできる。

自分が持っていないものを持とうとする試みは大切かもしれないが、それと同時に自分が持っているものの価値に気づき、それを大切に生かそうとすることもまた、大切ではないか。

むしろ、自分という極めて限られた、限定的な条件を「だからどうにもらないです」とネガティブに考えるのではなく、「こんな自分だから◯◯できるはず」と思考を転換することが大切だと思うのだ。

もし「◯◯しか選べない」のであれば

「◯◯がない」という表現はネガティブなように思える。「◯◯がない」は「◯◯しか選べない」ということだが、もし現時点でそれしか選べないなら、現実としてそれを選ぶしかない。

だが他の選択肢がないからこそ、今それを選ばなければいけないことそれ自体、ある意味「必然」ではないか。

様々な可能性があるはずの人生において今自分が選択できるものは限られている。であるならば、その限られた何かを選ぶことそれ自体が実は自分にとって重要なことなのではないか?

だからこそ「◯◯しか選べない」と考えるのではなく、「(現時点で)◯◯を選ぶ意味があるはずだ」と考えることもできる。

最後に

『月の教科書』によると、私たちは「偽りの自分」のイメージを追い求め続け、幻想の中で幻想を抱いたまま、「月並み」の人生を送るという。

それはいわば自分が手に入れるものができないもの、自分にないものを求め続けることによって人生を翻弄され続ける人生の悲劇である。だがないものはないものとして肯定する。それによって私たちは、「自分にあるもの」に焦点を当てることができる。

結局のところ、人生は自分に配られたカードで勝負をするほかはないわけだが、だからこそ配られたカードをどのように使うのか?今それが手元にあるのであれば、それをどのように使うのかは、自分自身の選択である。

他の人が持っているカードを云々しても意味はない。自分にないものはない。だが自分にあるものこそが、今の自分にとって重要なのだから。