なぜそれをやる気にならないのか?やる意味がないことだから

頑張りすぎる男

人生は行動あるのみ。

自分らしい最高の人生を実現するためには、「行動すること」が大前提である。ただし行動には良い行動と悪い行動がある。

その違いを端的に述べるならズバリこれ。「やる気」が必要かどうか、である。

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やる気が必要なことはやる必要がない

まず結論から言って、意志の力を用い、「頑張らなきゃ」「努力しなきゃ」とやる気を出すことによって起こした行動のほとんどは、長い目で見れば意味がない。

なぜならそれは、あなたの人生において本質的に不必要なことだからである。

物事には人生に関係する重要な出来事と、それをしてもしなくても特に意味がない出来事がある。

前者の場合、あなたは意志の力を用いる必要なく、人生で自然とそれをするだろう。正確に言えば、特に意識しなくても自然とそれをしてしまう。

なぜならそれをすることは、「これは自分の人生において大切なことである」と既に知っているからである。

頑張ることは本当に正しいのか?

一方、意志の力を用いなければできないことは、「これは自分の人生において大切なことではない」と無意識で理解している。だからやる気が出ないのである。

ここで、「頑張れない自分はダメだ!」と自分を叱咤激励し、意志の力で行動を起こすことはできる。そして一般的には、そのような意志を用いた努力こそ、人として正しい在り方だと推奨されている。

しかし、意志の力に頼れば頼るほど嗚呼不幸かな。人は自分自身の本来の姿を見失ってしまう。頑張れば頑張るほど、ますます自分が目指す場所とは違う場所へ向かっていく。

そして最後は自分を忘れて、誰かの期待に操られる存在になる。

人生にはしてもしなくても違いがないことがある

意志の力を用いて自分を叱咤激励して頑張ることはできるが、現実問題、いちいちやる気を出さないと行動できないことは、長い目で見てほとんど意味がない。

例えば、あなたが何らかの理由で今すぐ恋人が欲しいと思い、自分を変える努力をして、出会い厨になるとする。

あなたはやる気を出して自分を出会いの場へと向かわせる。それによってあなたは確かに、異性と出会うことはできるだろう。その中の何人かとお付き合いに発展することもあるだろう。

しかし最後には、すぐに関係が終わってしまったり、一緒でいるべきでない人と一緒になってしまったりして、「自分は何のためにこんなことをしたんだろう?」と時間を無駄にしたことを後悔してしまうのがお約束である。

つまるところ、その経験をしようがしまいが、長い人生においては、たいして意味がない出来事を作り上げたに過ぎないのである。

人生で本当に出会うべき人は、努力などしなくても、必要なタイミングが出会う。そして、深く関わる必要性がある人であるならば、意図せずとも自然な流れで、相応しい関係に発展することになっている。

本当に意味があること

ところが。

人生において、本当に出会うべき人は、意志の力関係なく、出会うべき最善のタイミングでそのきっかけが与えられる。それは意志や努力とは無関係であり、全く予想外のタイミングで起こることになっている。

出会いだけではない。自分にとって本当に価値がある出来事は、努力の範疇を超えたところで見つけることができる。「運命」や「偶然」など、いろんな言い方はあるが、それはそうなるようになっていることである。

この意味で、「頑張っても報われない・・・」と悲観にくれるのは、そもそも頑張る必要がないことを頑張っているからに他ならない。

努力の効果を云々する前に今一度、それを本当にやる必要があるのか?意志の力で「やる気」を無理に引き出していないか。自分と正直に向き合う必要がある。

最後に

人は自分にとって本当に意味があることを知っている。だからやる気があろうがなかろうが、自然に体が反応する。

そこに意志も何もない。自分が本当にすべきことに、やる気も何も関係ないのである。それはまさに、あなたの人生における本質的な事柄である。それをするだけの理由を見つけることができるだろう。

しかし、やる気を出して頑張らなければ行動できないこと。それは長い目で見れば、やってもやらなくても同じことである。だからわざわざやる気を出さなければ行動できないのである。

人生は短い。そして、自分がする必要がないことに時間を使うのはもったいない。

つまるところ、人生行動は大切である。ただし、やる気が出ないことを無理にやる必要はない。「したい」と思うことをやればいいのである。そして何事も、頑張りすぎないことである。

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