門はそもそも、叩かれなければ開かれない。

花を持つ女性

何も信ぜず、初めから諦めて求めないのでは、何も与えられない。探さなければ何も見つからない。門も、叩かれなければ開かれないのである。

渡部昇一

「私は人生において、◯◯という結果を期待します」

望むというシンプルな行動は最終的な人生の道筋を決める、重要な要因である。

なぜかはわからない。だが、「◯◯したい」と密かに願い続けることが叶う瞬間は現実として訪れる。それが自分の計画通りにはいかないけれど、願望を持ち続けることによって実際にそれが叶う瞬間が訪れる。

それは「できる」「できない」の問題ではない。「したい」「したくない」の問題である。だからこそ思うのだ。欲しいものを欲しいと望むこと。したいことはしたいと願うこと。自分が人生に求めることを明らかにすることはとても大切である、と。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

はじめに

指摘するまでもないことだが、自分の人生は100%完全に、自分自身でその運命を決めることはできない。私たちはそれぞれ自分の意思を持つことはできるが、自分自身では完全にコントロールできない外部要因によって、人生という旅路に影響を受けるからだ。

例えばあなたは休暇を必要としている。そして「旅に出たい!」と思い計画を立て、飛行機を予約して空港へ向かう。ところが飛行機は気流の影響により予定通りにフライトができず、あなたは空港で足止めをくらう。

あなたは「旅に出、飛行機に乗る」ということを自分自身で意図し、計画した。だがその旅路は気流という自分ではコントロールできない要因によって影響を受けた。人生ではこれと同じような出来事が頻繁に起こる。

だがここ重要なのは、いくら外部からの影響を受けようともなお、「◯◯したい」という気持ちを持つことそれ自体である。自分の思惑と違う肯定になろうとも、「◯◯したい」という想いは適切な形で、最適な時期に実現するからだ。

「願いを持つ」ことによる未来への影響

私たちは現時点で「自分が持っているもの」を誰かや何かと比較して、自分の人生はこんなものであると自己規定しがちである。「現実」を肯定することはある意味で、とてもかんたんなことなのである。

だが一つ、重要なことがある。私たちの心は、本来誰からも何かを押し付けられるものではなく、私たち自身がそこに自由に何かを思い描くことができるものなのである。

AがベストだけどBという選択しかない。そんな状況でさえ、「私は◯◯を望みます」と期待することはできる。

そして期待を密かに持ち続けることで、期待が現実に変わるチャンスが生じ始める。「普通に考えれば、当時の私ではそれは不可能でした」という未来が、誕生し始める。

だからこそ重要なのは現実を肯定することではない。現実は現実としてその存在を認識しつつも、「私は◯◯したいです」を願いを持つこと。そしてその願いを持ち続けることなのだ。

こうして道が拓かれる!

「あきらめる」ことによって起こること。それは可能性の消失である。「あきらめる前」なら、1%は実現の可能性があったかもしれない。だが、自ら「あきらめる」ことによって、1%は0%に変わる。

もしかしたらあなたは、「1%?ほぼ無理に等しいでしょう」と思うかもしれない。だが、0と1は違う。0は永遠に0だが1は3にも5にも、そして100にもなる可能性を秘めているのだ。

世界を変えたあらゆる核心的な事柄はそれが開始された当初、その成功率は限りなく0に近い1だった。だがそれをしたいという数少ない人々の強い思いを発端にして世界を変えいった。

そのすべての始まりは想いである。「私たちは◯◯を実現したい」という想いを持ったからこそそこへ通じる道が現れたのだ。

最後に

「蟻の一穴」という言葉がある。「どんな強固な物事も、小さな原因によって壊れる」という良い意味では使わない言葉だが、見方によっては良い意味でも捉えることができる。

すなわち、現時点で「不可能」「極めて実現の可能性が低い」ことさえも、「小さな要因」によって実現されうる。小さな要因とは「◯◯したい」という願望を抱くことである。

「現実」を見ればその道は限りなく困難な道かもしれない。あきらめるほうがあきらかに楽である。だがその実現を想うことによって、不可能と思えた道でさえ、新たに拓けるのではないか?

すべての始まりは願望を抱くことである。想いを持つことである。「◯◯したい」と願った瞬間から、そこへ至る門が現れる。願うからこそ私たちは、その門を叩くことができるのである。

だから最初からあきらめてはいけない。まず始めに現実世界で望むことを、望み始めることが大切なのだ。

出典

『人生の手引き書』