人生は幻かもしれない。それでも、心のなかに在り続けるものがある。

夕日を眺める女性のシルエット

親族の法事に参加したときのことである。

一族が集まる。お坊さんのお経を聞く。子どもだった頃、こうした法事に幾度も参加したが、「楽しくない」と感じたものだ。

だが、年齢を重ねていい大人になり、お坊さんのお経を聞いていたとき、こうした法事は大切な機会なのかもしれないと感じた。故人を偲ぶ時間を通じて、生きるということ、つまり人生の「縦軸」を深く感じる機会だからだ。

何らかの縁によって父と母が出会い、自分がいる。だが父と母も、その上にそれぞれの祖父と祖母が出会い、誕生した。そして、その出会いは必ずしも幸せなことだけでなく、愛憎があった。

「この世は儚い現、人の一生は幻」

お坊さんが唱えるお経のなかに、そんな一節があったが、確かに人生は幻のようだと、年々感じている。

若い頃、時間はまるで無限のように思えた。それは過去において、確かに存在したはずだが、今や色褪せたセピア色の写真のように、遠い遠い幻影のように思える。

そしてそれはまさに、ビートルズの『In My Life』の一節、

「人生の中で、忘れられない場所がある。いくつかは変わってしまったけれど。良くない方向へ変わってしまった場所も、永遠に消え去ってしまった場所もある。それでも、今も変わらず残っている場所もある」

(There are places I remember / All my life though some have changed…)

というフレーズのようだ。

確かに、過去となったあの時、あの場所に自分がいて、あの暮らしがあった。だがそれは今、心のなかにのみ存在している。

変わらないものは何もない。今この瞬間でさえ、同じものは何一つない。その場所にあるもの。その場所にいる人。それはそのとき限りであって、その形はやがて変わっていく。

10代の頃、「自分はどう生きるか?」という、答えのない問いがつねに頭から離れなかった。年齢を重ねた今も、私は未だに、その問いのなかに身を置いている。