人生がうまくいっているとき、「この先は大変なことが起こる」と予想する人は少ない。そして、人生に逆風が吹き荒ぶとき、「この先は素晴らしい未来が待っている」と期待できる人も少ない。
だが現実問題として、人生の絶頂からどん底に落ちることはあるし、その逆に人生のどん底から最高の幸せをつかみとる場合もある。なぜか。人生で起こることのすべては「状態」だからである。
はじめに
今現在、我が世の春を謳歌する「幸せ」な人も「不幸」な人に。仕事でバリバリ成功し、毎年高額の税金を納める「有能」な人も「無能」な人に。万人に称賛される「名君」も「暴君」に。全ては時間の経過とともに変わりうる。
私たちは人であり、人というのはつねに変わっていくものである。ゆえに、一時的に「幸せ」「有能」「成功者」など様々なものが与えられようとも、それはあくまでそのときの「状態」でしかない。
それが「良い」状態であれ「悪い」状態であれ、それは今そういう状態であるということにすぎない。それはその後、変わりうる。だからこそ「おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし」なのである。
すべては「状態」
状態はあくまで「一時的」である。そのため、今の状態に応じて自己評価を決定するのは適切ではない。
たとえばよくありがちなことだが、人生の悪運期にやることなすこと失敗している人は「自分はダメだ・・・」と感じ、そしてそれが今後永久に変わらない「真実」であるがごとく誤解してしまう。
だが現実問題として、「自分はダメだ・・・」と自分を実態以上に低く見積もっている人でさえ、その後の時勢が変わることによって人生がうまくいく状態に突入すれば、その状態は変化しうる。
「あいつはもう、終わった」と目されている人物が臥薪嘗胆し、その後昇り龍となり「最高」の現実を実現するという事象はごく自然に起こる。
このような事象は「自分は最高です!!!」という人も同様である。今「最高」であるということは真実かもしれない。でもそれは、「今」だからなのかもしれない。
やがてそれは変わる
重要なことは今現在の「状態」によって自分自身を規定してはいけない、ということである。最高の自分も最悪の自分も、今後変わりうるからである。
自分は自分だが、今の自分が永遠に続いていくわけではない。状況が変われば自分もまた変わっていく。だからこそ現状が望ましくないのなら。「先が見えません・・・」という状態であるなら。
まず第一にその現実はいつか必ず終わり新しい未来が訪れることを信じ、希望を失わないことである。そして今は今として身を控え、時が変わるのを待つことである。「待つ」という選択は一つの人生戦略である。
「待つ」という言葉は何か消極的で、無力感を感じるかもしれない。だが実際のところ、人生は必要なときに「待つ」という主体的な選択によって、次の夜明けの訪れを待つことができるのである。
そして「待つ」ことによって学ぶことができる。どんな状況もいつか必ず変わる、ということを。
最後に
人生どんなときもすべてそのときの「状態」。
「今まさに、私の人生は詰みました」という大ピンチの状況でさえ、確かにそのときは「詰んでいる」かもしれない。だがそこで忍耐力を発揮していると、時間の経過とともに状況に光が差し込んでくる。そして気がつけば山場は過ぎ去り、再び状況が変わる。
だから人生で絶望に打ちひしがれる瞬間が訪れることを避けることはできないかもしれないが、「その絶望が永遠に続くということはない」という現実を、頭の片隅に入れておくことは大切である。
「明けない夜はない」という言葉はその事実を知る先人たちが私たちに残してくれた温かい言葉である。どんな最悪の時もやがては過ぎ去る。結局すべての事柄は、一時的な状態なのだから。