人生は縁。
この世で出会った人は、何らかの縁があったからこそ出会った人。この世で出会うには、出会うなりの理由がある。
一方で、どうにもこうにも縁がない人もいる。いくら縁を持ちたいと思っても。どれほど縁を作ろうとしても。どうにもこうにも、縁を持てない人もいる。
なぜあの人と縁が持てなかったのか。今すぐ納得することはできないかもしれない。
しかしいつかその理由は分かる。そして理由が分かったとき、すべてに納得することができる。「ああ、これで良かったのだ」と。
縁とはこの世で出会う運命を指す
縁は気づくとかそういう話ではない。人生において半強制的に与えられるものだからこそ、縁なのである。すなわち、自分が望もうが望むまいが、人生で出会う人とは必ず出会う。
その結果、あなたが幸せになっても不幸になっても、その出会いはあなたの人生で、何らかの痕跡を残すようになっている。
なぜなら、その出会いによって経験することそれ自体に、人生において大きな意味があるからである。それは必要性と言ってもいい。
すなわちある人と出会う。そしてあることを学び、あることに気づき、人生が動き出す。ここに、出会いが生じる意味がある。
出会う意味があるから出会う!
この世で出会う縁は全て意味がある。しかしその縁は、あなたが思った通りの縁が与えられるとは限らない。
例えばあなたにはこのような経験がないだろうか?
どうしてもお近づきになりたいと思う人がいるのに、全く縁を持つことができない。近付こうとすればなぜか問題が起きて離れてしまい、近づくことができない。ひどい場合だと全く相手にされない。
これはあなたとその人に縁がない証拠。すなわち、あなたにとっても相手にとっても、人生で関わる必要がないからこそ縁が生じないのである。
縁が切れてしまう人
人生で出会ったけれど、途中で途切れてしまった縁というのもある意味同じである。
出会ったことそれ自体は意味があった。しかし、長く続く関係ではなかった。それによってお互いが、人生を生きていく上で必要な気づきを得ることができる。
お互い好きだったのになぜか交際に至らなかった男女。結婚を約束したけれど、どちらかの不貞で関係がダメになった男女。
これらはまさに、縁が途切れてしまった典型である。縁がなかった人である。
理由が分かるのは最高のタイミング
ある人とは縁が生じる一方で、ある人と全く縁が生じない。
一体なぜ自分はあの人と縁があったのか。一体なぜ自分はあの人と縁がなかったのか。その理由を知りたいと思うのは自然なことだが、今はその理由を知る必要はない。
「なぜ」という理由は、それを知るベストなタイミングで、自然に理解することができる。
そしてそれを知れば、「だからあの人と縁がなかったんだ」ということを受け入れることができる。そして、縁がなかったことを逆に、感謝することができる。
この意味で結果オーライという現実は、「すっぱい葡萄」でもなんでもない。厳然たる事実である。
今すぐ理由を知る必要はない
もしあなたが今、ある人と縁がなかったことを悲しく感じたり、理不尽に感じているとすれば。
「なぜ」を問うのはやめた方がいい。それは今知らなくてもいい。今はまだ、知る必要がないし、理由が分からないことそれ自体に意味がある。
1年後か3年後か10年後かはわからない。しかし、あなたがそれを知るタイミングになったとき、突如理解することができる。縁がなかった本当の理由を。
そのときは全てに納得できる。縁がなかった。そのこと自体が実は、あなたの人生にとって大きな意味があったことを。
最後に
人生、縁がある人とは何があっても縁ができるようになっている。そして、縁がない人とは何をどうしても、縁が切れるようになっている。
だから人生の縁を大切にしたいなら。与えられた縁を大切にしよう。そして、つながることがなかった縁に執着せず、そっと手放そう。
執着せずに今の縁を大切にしていけば。人生で出会うべき人と出会った意味。そして、人生で関わることがなかった人と縁がなかった意味に納得することができる。
そう、あの人と縁がなかったのは、決して間違いではなかった。本当の理由は分かるときに、分かるのである。