災い転じて福となす。因果応報。
竹田和平
人生は長い目で見れば因果応報。
良いことをすれば良いことが起こるし、悪いことをすれば、やがて我が身に、悪いことが降りかかる。なぜそんなことが起こるのか、その理屈を云々することに実は意味はない。
大切なのは、そこから何に気づく必要があるのか。自分のどんな行動を改めればよいのか。それを考えることである。
つまり、自分のどんな行動が良い結果につながって、そして、自分のどんな行動が悪い結果につながるのか。それを自分自身で、見極めることである。
因果応報で自分の生き方を正す
因果応報というルールが適用されているこの世のなかにおいては、そこにこそまさに、気づきの宝庫である。
人として正しく生きるとか、道徳論は関係ない。
それは、あなた自身が本当に納得して自分の人生を生きる。その上で、他者の権利を侵害せず、共存するための最低限のマナーを守ることである。
だから悪いことは悪いこと。人生で後悔したくなければ、真っ当に生きて、自分がすべきことをしていけばいい。
自分がした良いことはいつか必ず、良い結果になって自分に返ってくる。そして、自分がした悪い行いはいつか必ず、悪い結果になって自分に返ってくる。
だからこそ、悪いことが起こったときは、災い転じて福となす。自分の過ちに気づき、それを正していけばいよい。ただ、それだけのことなのだ。
自分の人生に恥じない生き方を選ぶ
自分の人生の行動は最後に自分に返ってくる。この意味で人生は平等である。
人生で経済的に成功してお金持ちになっても。有名になっても。その過程で後ろめたいことを繰り返している人は、何を手に入れても絶対に幸せになれない。
それは、何も手に入らない人生よりも、ずっと不幸なことである。この意味で大切なのは人生で成功するとかお金持ちになるとか有名になるとか、そういう話ではない。
人として自分の生き方に責任を持てるか。行動に納得できるか。すべてはそこにかかっている。
最後の責任は自分自身が引き受ける。それならやはり、まっすぐ顔を上に向けて、生きられる方が安心だ。
自分の人生に恥じないこと。恥じることをしないこと。それを知るために、因果応報が存在しているのだから。
出典
『人生とお金の道を極めた 竹田和平の人生訓』