疲れたら休めばいい。うまくいかないときは息抜きすればいい。そのうちに現実が

希望の朝焼け

夜明け前が一番暗いという。実際、スランプの時期を乗り越えて非常に多産な時期を迎えるということも、よく経験する。

お先真っ暗だと思ったときが、実は人生の転換点となるということは、よくあることだ。まだ暗いうちは、じたばたせずに、ゆっくり休むのもよい。

岡田尊司

長い長い人生を歩む上でとかくにも誤解しやすいこと。それが、「人生はつねに全力で生きねばならない」という考え方である。

「つねに全力で努力する。だから最高の人生を実現できる」という発想なのだが、実際のところ、人生は「努力すればつねにうまくいき、努力しないから現実がうまくいかない」ということはない。

どれだけ日々全力で自分がやるべきことをやっていようが自分とは全く関係がない要因によって築き上げてきたものがぶち壊されることがあるし、「濡れ手に粟」で突如として「幸運」によって人生が変わることもある。

ただ一つ言えるのは、良い意味でも悪い意味でも「明日はどうなるかわからない」ということである。

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はじめに

「もうだめだ・・・」

人生のある時期に追い詰められた経験を持つ人ほど、人生を重ねるにつれよりたくましく、そして豊かな人生が保障される。

八方塞がりのどん底を経験するという過程を通じて、どんな困難な現実でさえそれはやがて終わり良い時期が再び訪れるということを、その経験を通じて体得するからである。

「お先真っ暗」と感じたとき、たしかに「その時点」ではそう感じるのが正しいと思える状況は確かにある。だがそれよりも重要なのは、たとえその時点で「お先真っ暗」と感じたとしても、その先に突如として光が差し込むという展開も起こりうる。

繰り返し述べていることだが、「夜明け前が一番暗い」という言葉はただの気休めではない。現実のハードさの限界を迎えたとき、その状況は陽転していく。「お先真っ暗」な状況とは言えば「最悪」から「最高」へと向かう転換点なのである。

「目の前のこと」だけを見るのではなく

自分の人生を俯瞰し、そこで何らかの法則性、規則性を見出す試みをすることによって、私たちは日々人生で起こる様々な出来事から、人生に迷わないための気づきを得ることができる。

一つ一つの出来事は「点」である。だが、その「点」はやがて「線」となり、「面」となる。そのとき初めて、人生で起こる出来事に「すべて」意味があるとは限らないが、起こる出来事には何らかのメッセージがあるということを実感することができる。

それがたとえ「もうだめです・・・」というような出来事のように思えたとしても、人生を一定の時間軸で捉えれば、「もうだめです・・・」と追い込まれたその瞬間こそがまさに、人生が右肩上がりに上向き始める転換点となる。

下がったときは中途半端に上がろうとせず徹底的に下がりきる。これは何も冗談ではなく、「下がるときまで下がったらあとは上がるだけ」という人生の法則を活用するためなのである。

すべてはやがて下げ止まる。そのときこそが

「どん底」という状態は確かにその瞬間は幸せではないし、精神的には厳しい状況であることは確かなのだが、その見え方、感じ方に反して、実際の状況はそれほど悪くない。

「どん底」とはすなわち「もうこれ以上は下がりません」という状態である。徹底的に下げ止まったからこそ、あとは上向いていくだけ。人生にはこうした構造がある。ただしそれは、自分自身が人生を見捨てないからこその話である。

人生つねに前向きに生きる必要もないが、状況が悪いとき、あえて「気楽に構える」という態度も必要である。

人生が下がっているときに下げ止まろうと努力することが大切である一方で「人事を尽くして天命を待つ」。やることをやって下がるならそれも「天命」と受け入れる柔軟性も必要である。下がりきったのちに、再び上向く時が訪れるのだから。

最後に

私たちはつねに、とかく「目の前のこと」に翻弄されがちである。特に、挫折や不運が続く「人生の下り坂」を迎えているときは必要以上に現実を重く受け止めすぎる。

だが人生は上がれば下がる。そして下がれば上がる。「確かに今はうまくはいっていないが、この先はきっと良くなっていく」という長期的な展望を持つことによって、人生はまさしくWの文字のように、絶妙のバランスで成り立っているということを学ぶ。

明日どうなるかはわからない。しかし今が真っ暗ならやがて光は差す。夜明けが訪れる。それこそが人生の構造なのだから。

出典

『働く人のための精神医学』