近頃、「直感」を信頼することの大切さを強く感じている。
直感は個人の感覚である。そこには科学的・客観的な根拠がない。それは「◯◯と感じたから」という、漠然とした感覚である。にも関わらず直感が感じたことが「結果として」間違っていないことがあまりに多すぎる。
もしかしたら人の内部には、物事の本質を瞬時に見抜く素晴らしい力が備わっているのではないか?そしてそれは人生において進むべき道を照らし示す灯火になるのではないか?
そんな思いを強くしている。
はじめに
直感は理論や理屈ではなく感覚的に物事を判断する一種の能力である。
直感は客観的根拠がない主観に基づくものである。ゆえにそれは一般的には「信頼性が低いもの」とされる。だが本当に、そうなのだろうか?
直感はいわば心の声である。そこには自分自身が本能として感じた何かである。そして、
「◯◯は信頼できる」
「△△はイヤな感じがする」
などと漠然と感じたことでさえ、後々振り返ってみたときに直感が提示する解答とその精度が驚くほど高い。
だからこそ大切なのは自分の直感を信じ、その導きに自分を委ねることではないだろうか?それこそが別の表現に置き換えるのであれば、「自分を信じる」ということなのだろう。
「自分が感じたこと」を大切にする
そもそもここで改めて述べる必要があることではないかもしれないが、「客観的」「科学的」に正しいと思われていること、誰かが太鼓判を押して主張することがほんとうに正しいのかどうかはわからない。
21世紀に暮らす私たちは科学が発展した現代文明の住人であるが、科学でさえわからないこと、証明されていないことはたくさんある。医療にしてもそうだ。風邪を治す薬はなく、結局風邪を治すのは私たち自身が持っている免疫力なのである。
ただ一つ言えるのは自分自身が直感的に感じたことを軽視し、権威や科学、証明に固執することは自分自身で物事を考え判断する上で、何らかのミスリードを引き起こす可能性があるということである。
アメリカの思想家ラルフ・ワルド・エマーソンは「自分のなかに、最も信頼できるものがある」と言った。それは直感であり本能であると、私は考える。
外の声には心を開く。人の話はまず聞いてみる。その上で
「なぜだがわからないが、(自分にとっての)正解が分かる」
これこそが直感が示す導きである。
ネット、TVやメディア、有名人、肩書を持つ人々、家族、上司や先輩、どこでも誰でもいいが人の話は大いに聞くべきである。様々な意見に耳を傾け、心を開いておくことはとても大切である。
だがそれよりもっと大切なのは話を聞いたあとのことである。聞いた話を鵜呑みにしない。そこで受け取った自分の感覚を大切にする。その上で自分で調べて判断する。
鵜呑みにするということは人任せにするということである。人任せは楽である。だがそれはときに、私たちにとって最善ではない方向へと向かわせる。その責任を背負うのは結局、自分自身である。
だからこそ常に外に対して心は開いておいた上で直感という名の心の声に耳をすます。それは導きである。自分がどうすればいいか。どこへ進めばいいか。常に人生に寄り添う、導きである。
最後に
「自分が感じたこと」というのはこの現代社会で何かと軽視されがちなことである。だが考えてみれば、自分の人生は自分こそが責任を負うものであり、自分にとっての正解は自分にしかわからない。
なぜなら人にはそれぞれ役割がある。この世界にいる目的は、人それぞれ違う。ゆえにAさんにとって正解であることがBさんにとって正解であるとは限らない。だからこそ、自分は自分として、直感を尊重することが大切だと思うのだ。
私は価値観が選別され人の生き方が一定の方向性で管理される社会よりも、人は人、そして自分は自分でそれぞれの天命を全うできる社会こそが望ましいと考える。
自分の天命に向かうためにはまず、「自分が感じたこと」を大切に尊重することである。それは今の時代、より大切になっている。自分の生きる道は自分こそが知っている。それは誰かから押し付けられるものでは、決してないのだ。