
給料の額によって決められた人生なんて、本当の人生じゃない。仕事につけば安定した人生が送れるなどと考えるのは、自分自身をだましているのも同然だ。
金持ち父さん(『金持ち父さん貧乏父さん』より)
もしあなたが、この言葉に、何か気にかかるものを感じたなら、この記事は、きっと無関係ではないはずだ。
その感覚は、あなたの中に「もしかしたら、違う生き方があるのかもしれない」と感じている証拠だからだ。
私たちは、「普通の暮らし」「安定した人生」を求め、こう無意識に思い込む。
「いい会社に入れば、大丈夫だ」
「安定した収入を持つことが、幸せの条件だ」
それは今の社会、つまりお金を中心とした世界が続くという前提において、間違ってはいない。
だがここで、問うべき質問がある。その「安心」は、本物なのだろうか?
はじめに:安定の「前提」に気づいているか
私たちは仕事に就く。それはある種の証明である。
自分が、何者であるか。どこに属しているか。そしてどのように生活を成り立たせているか。そうしたものの、証明である。
そして、それによって私たちは安心することができる。「私は、働き、お金を稼ぎ、社会の一員として生きている」と。
ただしそれは、「会社が存在し続ける」「評価され続ける」「社会が今のまま続いていく」という前提の上に成り立っている。
それに気づかないままでいることは、自分の人生の主導権を、他人や外部の環境に預けている状態とも言える。なぜならそれは、前提が崩れた瞬間にすべてが揺らぐ「砂上の楼閣」だからだ。
だからこそ、もう一度問いたい。その「安心」は、本物なのだろうか?そしてもし、それらが崩れたとしても、自分に残るものはあるだろうか?
お金は目的ではなく「道具」である
「お金がなくても」「お金なんて」
こうした主張に、私は賛成しかねる。現代の社会において、お金は確かに、私たちが生きていくための重要な役割を果たしているからだ。
その一方で、「お金を持つ者が偉い」「お金を持っていない人生は無意味だ」といった考え方にも賛成しかねる。
お金はあくまで道具に過ぎない。人生を生きるために役立てる、道具に過ぎない。だからこそ大切なのは、「どれほど稼ぐか」ではなく、「どう生きるか」だ。
「安心」を求めるあまり、自分の声を無視し続ける人生を選ぶ。それは、「自分で人生を選ばなかった結果」とも言える。その選択の先に残るのは、静かな後悔かもしれない。
一方で、たとえ目先の安定を失ったとしても、自分で考え、選び、進んでいる人の中には、「これでいい」と思える確かな感覚が宿る。その感覚こそが、人生の「意味」を決める。
その小さな選択が、人生を変えていく
もし、私たちが変化の激しい時代のなかで生きているのだとしたら、「変わらないものはない」という前提で考える必要がある。
だからこそ、自分の心と選択を、少しずつでも尊重することが大切になる。それは、大きな決断でなくていい。
・本当はやってみたいことに、少しだけ時間を使ってみる
・気が進まないことを、無理に引き受けない
・自分の意思で、一日の使い方を決める
そうした小さな選択でいい。
一つひとつは些細でも、その積み重ねは確実に、自分の感覚を変えていく。小石を川に投げれば波紋が広がるように、その選択はやがて、自分の人生全体に影響を与えていく。
そして、「自分の人生を生きている」という実感が、静かに根づいていることに、気づくのだ。
最後に
私たちが「安定」だと思っていたものは、驚くほどあっけなく崩れることがある。
そして世界は、想像以上の速さで変わり続けていく。昨日まで当たり前だったものが、明日も続くとは限らない。
本当に試されるのは、「当たり前」が崩れたときだ。そのとき初めて見えてくる。自分に残されたものの価値が。そしてそこにこそ、環境に左右されない安心がある。
それこそが、誰にも奪われることのない、自分の人生における確かな「土台」になるのだ。

